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Bb弾乱射、犯人は [出来事]

近所のご夫婦からの"伝聞"とさせていただきます。

依って以下の、「私」はそのご主人、「妻」はその方の奥さん、( )は私の感想、となります。



つい先週のこと、午後3時半、奥さんが片側1車線の県道の歩道を歩いていると・・・

とつぜん、左側頭部に『バシッ!』っと痛みが走った。

周りには、誰もいない。

上を見ると、すぐ脇、県道沿いの住宅地のある家の2階の窓から、拳銃らしきものが覗いている。

物陰に隠れ見ていると、県道を走る車に撃ちまくっている。

恐くなって家に帰った。

ホンモノの銃であれば音が凄いので、オモチャのBb銃と私は思ったが、それにしても危険。

(側頭部でなく、目に当たれば失明する可能性もあるし、Bb銃は、破壊力も値段もピンキリで、高価なものであれば、かなりの威力があるようです)

話を聞き、確認のため私はすぐ現場に行き、発射されたと思われる家の目星をつけ、その前の道路でBb弾を探した。

『証拠』です。

辺りを5回ほど往復し、Bb弾十数発を見つけ採取した。

歩きながら同時に、犯人と思われる家の2階の窓を何度も凝視した。

窓にはレースのカーテンが掛かり、こちらからは見えないが、犯人が監視している気配がした。

と、その家の玄関から若い男が出てきて、玄関前で縄跳びを始めた。

私は立ち止まり、その男を(わざと)ジッと見続けた。

すると1分もしない内に、その男は家に入ってしまった。

狭い玄関前で縄跳び?してすぐ止めた、如何にも不自然な行動、私の様子を見に来たのか、私の狙い通り。

私は「こいつだ!」と確信し、人相・髪型と着衣を記憶していた。

歩いて4分の家に帰り、警察に相談した方が良いと判断し、被害者である妻が管轄の警察署に電話した。

(賢明な処置でしょう。ごく一部でしょうが、銃マニアにはやがて実銃を欲しくなったり、動く的を撃ちたくなる馬鹿がいます)。

30分後、若い警察官がひとり、警察オートバイで私の家に来た。

当事者である奥さんが事情を話し、私は証拠のBb弾を見せた。

少しすると、40代以上と思われる警官が警察オートバイで来た。

警官たちは事件に興味を示し、年配の警官は『そういう統合失調症みたいなヤツは、最近多いんですよ』と云い、『これから行くので案内してくれます?』

そして、『犯人を特定出来た場合は、訴えますか?』、と聞いてきた。

相手がどんな人物かもわからないし、近所でもあるので「それはまだ保留にして下さい」と答えた。

奥さんと私は、その家の前まで警官たちを案内した。

その家に入ったのは警官二人だけで、奥さんと私は近くの路上で待っていた。

若い方の警官が出てきて、『もう少し時間が掛かるので、自宅で待っててください』と言われ、奥さんと私は家に帰った。

自宅で待機していると、警官二人が帰ってきた。

『間違いないですね』
『本人は否定してますが、Bb銃も確認したし人相・特徴も一致しています』
『やってますよ、ただ・・・中学2年生です』

私は『中2』に驚いた。

奥さんが見たのは銃、そして本人(=犯人)は一瞬だけ。

私は、犯人と思われる男の全身・特徴と着衣をじっくり見ていた。

確かに一致しているが、身長も170cm前後あったし、中2とは・・・・(なんてことだ)

年配の警官は、『本人と親には、中2でも逮捕出来るし、裁判で少年院に送られることはあると伝えました。』

『どうしますか? 被害届出して訴えますか?』

私と奥さんは『付き合いのない家ですが、中2では将来もある事だし、怪我した訳ではないし、今回は見合わせます。』と伝えた。

そうこうする内、家に別の警官と更にもう一人女性警官がきて、計4人の警察官が来てくれたので驚いた。


(応援という事なのでしょうが、やはり日本の警察は頼りになります。ひょっとしてヒマだったのかも。ですが、何かあったときに、警察を頼りにできる日本という国は素晴らしいです。皆さんは当たり前だと思うかも知れませんが、世界には、そうでない国や地域も多いのです。)







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失われた20年は30年に [日本]



日本人は「失われた30年」の本質をわかってない


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200126-00325346-toyo-bus_all




(上の本文は末尾にあります)




私事ですが、20数年前、ドロップアウト(脱サラ?)して海外に出ました。

そして2016年の初めに帰国。

約20年ぶりに住んだ日本に、その代わりように戸惑いました。

祖国日本、経済大国の凋落ぶり。




私にとっては「失われた20年」でした。

それがどっこい、『失われた30年』とは・・・・


しかし、”チコちゃん”ではないですが、『ボ~ッと生きてんじゃねーよ!』

30年が、40年、50年になるかも知れないのです。




このままでは、我が国は合衆国の第51番目の州か、ロシア領か中国の自治区か。

・・・・くわばら、くわばら・・・







(以下は、冒頭URLの本文)



 今から30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」からいきなり200円を超える下げを記録した。1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったまま。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷を続けている。

 その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30年間も超えることができずに推移している。  この違いはいったいどこにあるのか……。そしてその責任はどこにあるのか……。アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、1月3日付の電子版で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した。


■日本は失われた40年を歩むことになるのか

 この30年、確かに株価は上がらなかったが、極端に貧しくなったという実感も少ない。政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党がいまだに日本の政治を牛耳っており、日本のあらゆる価値観やシステムの中に深く入り込んでいる。  バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた。自民党政権がやってきたことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだときには財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋めるために消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる……。そんな政治の繰り返しだったと言っていい。

 2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開してきた。政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年、30年」と無縁ではないだろう。

実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。

 生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきている。新しい価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、あるいは失われた50年を歩き始めているのかもしれない。  このままでは2030年代には、日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、やがては先進国から陥落する日が来るのかもしれない……。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい。


■この30年、何が変化したのか? 

 この30年で日本はどんな変化を遂げたのだろうか。まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。

●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値) ●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同) ●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末) ●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年) ●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年) ●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在) ●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同) ●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年) ●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度)  これらの数字でわかることは、第1に株価の低迷がずっと続いていることだ。
 1989年の大納会でつけた3万8915円という高すぎる株価は、解禁されたばかりの株式先物指数が一部の外国人投資家に使われた意図的な上昇相場であったという背景もあるが、30年間回復できない現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。

アメリカの株価がこの30年で9倍になったことを考えると、日本の株価は異常な状態と言っていいだろう。ちなみに、この30年間でドイツの株価指数も1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇。ざっと7.4倍になっている。  なお、株式市場の規模を示すときに使われる「時価総額」も、この30年で日本はわずかしか上昇していない。

 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていないことになる。個人が株式に投資して金融資産を大きく伸ばしたアメリカに比べると、日本は一向に個人の株式投資が進んでいない。日本人の多くが豊かさを実感できない理由の1つと言っていいだろう。  実際に、この30年で海外投資家の日本株保有率は1990年度には5%弱だったのが、2018年度には30%に達している。日本株の3割は外国人投資家が保有しているわけだ。

 かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落としたと言っていい。現在では、過去最低レベルの17%程度にとどまっている。

 ちなみに、アベノミクスが始まって以来、政府は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支えしていると言っていい。日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている。  これでは株価は適正な価格形成を行えず、個人投資家の多くは割高な価格で株をつかまされている状態だろう。株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっているわけだ。

 株式市場というのは、あくまでも市場の価格形成に任せるのが望ましく、株価が大きく下がれば個人投資家が株式投資を始める可能性が高い。せっかくの投資機会を、政府が意図的に邪魔している状態が続いてきたとも言えるのだ。

 マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸びてきたかのように見えるが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる。

●1989年……15.3% ●2018年……5.9%  アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している。  日本の国力の低下は、明らかだ。



■グローバル企業が示す日本の衰退


 日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、日本全体の「国際競争力」や日本企業の「収益力ランキング」がある。  例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年には30位に後退し、2019年版でも30位と変わっていない。

 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500」は、グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したものだ。1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少している。  日本の科学技術力も、この30年で大きく衰退してしまった。 日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す「TOP10%補正論文数」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちてしまっている。

 このほかにも、ここ30年で順位を落としてしまった国際ランキングは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態なのかもしれない。  残念なことに、日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている。

 1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)、それがいまや3119万人(2018年)に膨れ上がった。当時、外国人にとって日本の物価は非常に高く、一部のお金持ちを除くとなかなか日本に来ることができなかった。


現在は中国に限らず、世界の数多くの観光客が日本は格安だとして訪れている。実際に、日本はこの30年間ほどんど物価が上がらず、アベノミクスで掲げた年2%のインフレ率さえ達成できない。  国民生活にとっては、それが悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下していると考える必要があるだろう。



■責任はどこにあるのか? 


 日本が失われた30年を始めたきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、追い打ちをかけるように当時の大蔵省(現財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと「総量規制」を実施したことにある。株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味ではバブル崩壊は政府の責任だ。  アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を、日本はその20年も前に味わっていたわけだが、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にしたと言っていい。

 日本は、株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまったからだ。  リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応してきた。  財政赤字がまだ400兆円のレベルだった頃に、当時の大蔵省主計局に取材したことがある。担当者は「赤字国債の発行を辞めることは、官僚機構がみずから国を荒廃に追いやることになる」と発言したのをいまでも思い出す。赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっていることを認めているわけだ。

 この30年、日本は企業救済のための資金は惜しまずに支出してきた。アメリカのように、税金を民間企業に支出することに強硬に反対する共和党のような勢力が、日本にはないからだ。公的資金の支出が景気の回復に効果がないとわかると、今度は郵政民営化といった規制緩和を始める。 しかし、これもさまざまな勢力に忖度するあまり、中途半端な形で進行し、結果的に景気回復の切り札にはならなかった。最終的に、現在進行形のアベノミクスにたどり着くわけだが、スタートして今年で8年になろうとしているにもかかわらず、その効果は見当たらない。

 ひょっとしたら、一時的に消費者物価が2%を突破するかもしれないが、一時的なものに終わる可能性が高い。その間、政府の債務はどんどん膨らんで、政府は何度も消費税率アップに動く以外に方法はなくなっていく。  1989年4月に消費税を導入して以降、この30年で政府は3回の「消費税率引上げ」を実施しているが、いずれも2%、3%という具合に、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。  一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあったと言っていい。

 日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない。  それでも国民は、バブル崩壊の原因を作った政権にいまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。実際に、この30年間の統計の中でもあったように政府債務は250兆円から約4倍以上の1100兆円に増えている。

 自民党政権がいまも続いているのは、ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ、という見方もあるが、30年の間に、国民の間に「諦め」の境地が育ってしまったのも事実だろう。  長期にわたってデフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けてきたわけだ。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい。



■日本はなぜ構造改革できないのか? 

 全国平均の公示地価を見ると、1976年を「0」とした場合、1992年まではプラス圏だったが、その後バブルが崩壊して住宅地、商業地ともに公示価格はひたすらマイナスを続けて、2015年にやっと「前年比プラス」に転じる状況にある。30年前の土地価格に戻るには、悪性インフレぐらいしか考えられない状況だ。要するに、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされたわけだ。


株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。

 簡単に言えば、少なくとも日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえも、選挙に負けるというトラウマがあり、一線を超えずにやってきた、という一面がある。

 もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。  ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた。

 バブル崩壊後も、株式市場は長い間、「PKO(Price Keeping Oparation)相場」と言われて、政府によって株価が維持されてきた。世界の平均株価と大きく乖離した時期があった。


■官民そろってガラパゴスに陥った30年

 そして今大きな問題になっているのが、デジタル革命、 IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めていることだ。

 この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。リスクを取って、新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が圧倒的に少ない。 日本はある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。

 しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業になってしまう。もっとわかりやすく言えば、日本特有の世界を作り上げて、そこから脱却できない「ガラパゴス化」という欠点に悩まされてきた。  日本特有の技術に固執するあまり、使う側のポジションに立てないと言ってもいい。日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に支配されていた。あまりにも残念な結果といえる。

 この30年、日本企業はさまざまなガラパゴスを作ってきた。

 そして、そのガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在している。業種にもよるが、日本企業の多くは消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。  とはいえ、失われた40年を歩き始めたかもしれない日本にとって、今後は失われただけでは済まないだろう。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。自民党が避けてきた「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、これまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。

 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度は「崩壊する10年」になる可能性が高い。 岩崎 博充 :経済ジャーナリスト










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みじめ [ランニング]

ジョグに病み   凍てつく空に   朝の月



2020年が開けて、何回かジョグしました。

普段は走らない祝休日も2度。

やはり、土日&祭日はあまりイイ気はしませんね。



遊歩道の幅一杯に走る、市民ランナーグループがいます。

『(健康的で)カッコイイだろ!』感?で楽しそうでいいのでしょうが、対向する人たち、散歩やウオーキングの、他の人々には少々迷惑です。

いっぽう、『め一杯』のペースで苦しそうに走る、”(自己)記録更新”にガムシャラな孤高(と自分では思っている単独ランナー?)』達。

でも、いくら頑張っても『サブスリー』がせいぜいで、睡眠・家族・仕事を犠牲にしてさえも2時間半に辿り着くのは至難と、私は自らの経験で推測します。

要は努力の問題ではなく、残念ながら、持って生まれた才能の有無で決まっているように思います。

(↑これは・・・でもやっぱ、愚痴だな~)



・・・・・・・

もう私は老いて、あちこちガタがきてしまい、歩くのと大して変わらない速さでしか走れない。

身体が衰えれば、気も弱くなるものです。

カラ意地すら、張る気もおこりません。

だから、他のランナーやジョガーを妬んでいるのだと思う。



あの芭蕉は辞世と云われる

旅に病んで   夢は枯野を   かけ廻る

を詠みました。


憚りながら、私は年初めに吐き出しました。


ジョグに病み   凍てつく空に   朝の月
 

青空に残ってしまった朧(おぼろ)な月が、私自身のように儚(はかな)げでした。



ところで、その健脚ゆえに、根拠のない『忍者』とか『隠密』説まで飛び出した芭蕉は、50歳で世を去ったと言われています。

当時としては、短命とは言えないでしょう。







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ドリーム号 D型(1949) [日本]

いまやオートバイは、巷では絶滅危惧種のようですが、こんなオートバイが今あったら、何が何でも手に入れたいような・・・・・・

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https://www.youtube.com/watch?v=jdYc8KNhxqE


若い頃、千葉からバイクに寝袋にテント積んで鈴鹿まで・・・・ホンダの博物館に行き"歴史"の一部として見たはずですが、この機種は忘れていました。

16歳から42歳まで、単車乗ってあちこちツーリングして十数万キロ。

死にかかったことも数度ありましたが、思い出は数えきれないです。

でも、もう歳、単車はムリです。

今は車です。



ま、そんなことはどうでもイイことですけど。

冒頭の〈ドリーム号 D型(1949)〉いいデザインです。

見た目の美、そして機能美が完璧。



勿論いま売ろうとしたら、2ストロークを4ストロークにとか、保安部品とか変更の要ありなのですけど・・・・この基本的デザインは芸術的・・・のような気が(私は)します。

今はともかくとして、本田宗一郎氏が”職人”として工場に居た、つまり昔のホンダは抜群、凄かったと偲ばれます。







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“チバニアン” やったね! [自然]

地球史の地質時代名に「チバニアン」 国際学会が決定

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54509170X10C20A1I00000/?n_cid=BMSR2P001_202001171427

(上のURLの本文は末尾にコピーさせていただきました)




『77万年前』という、途方もない時間軸の出来事です。

20代、極地探検に憧れた私の拙い知識ですが・・・・

(今でも)磁石の示す『北』は、地球の自転軸の真北と云うか『極点』とはズレがあります。
現在のそのズレ=不一致は、人が暮らしているような地球上の場所からすれば、何ら問題はないのですが、”北極点”や”南極点”というポイントからすれば、真北でも真南でもありません。

ですから例えば、自転軸の天辺を目的地とするような『北極点を踏む』目的の場合、磁石だけを頼りにはできないのです(簡単に云えば、北→北→北と行動しても、北極点には到達できない=地軸と極軸は同一ではないのです)。

その『北』(=磁石の指す北、地磁気の向き)が77万年以上前には、今と真逆だったとは・・・・私のようなジジィには想像すらつきません。

地道に研究を成し遂げた方々には、心から敬意を表します。


“チバニアン”が証明された場所ですが、〈千葉県市原市田淵1898〉のようです。

私も45年前に訪れた、養老渓谷の”粟又の滝”の北になります。



我が千葉県に、またひとつ"お国自慢"が増えました。

単純に嬉しいです。




(以下、URLの本文です)

国立極地研究所などは17日、地球の歴史の一時代が千葉の名前を冠した「チバニアン(千葉時代)」と命名されることが決まったと発表した。国際地質科学連合が韓国・釜山で会合を開き、最終承認した。77万4000年前から12万9000年前の時代の始まりを告げる痕跡が千葉県市原市の地層にあり、時代の名前にふさわしいとして日本チームが申請していた。

46億年におよぶ地球史は、当時の様子を示す地名などをもとに名前をつけるのが通例となっている。地球史の一時代を日本の地名が飾るのは初めて。数々の物証から時代を証明するのは簡単ではなく、日本の地質学の水準の高さを改めて世界に示した。 これまで77万4000年前から12万9000年前の地質時代は、暫定的に「中期更新世」と呼んでいた。今後、国際学会である国際地質科学連合が世界に周知し、「千葉時代」を意味する「チバニアン」が教科書や研究論文で使う正式名称になる。

地球の歴史は、隕石(いんせき)の衝突や寒冷化などの節目ごとに117の時代に分けている。これらを地質時代と呼び、名前がついていないのは10程度を残すだけとされていた。 地球では、方位磁石の指すN極が北とは向きが逆になる「地磁気の逆転」と呼ぶ現象がたびたび起きていた。最後は約77万年前で、そこから約13万年前までが名前の定まっていない時代の1つだった。

研究チームは市原市の地層に地磁気逆転の痕跡を見つけ、一時代を代表する地層だとする申請を2017年に実施。国際学会は他に申請のあったイタリアの2地点を含めて審査していた。 最終選考に唯一残った日本チームが選考の上で重視されたのが地磁気の逆転をいかに証明するかだった。

市原市の地層には磁石の性質を持つ鉱物が含まれ、逆転の様子を克明に記録していた。逆転が起きた時期が複数の手法で説明できたうえ、当時を物語る花粉や化石を含んでいたことも今回の決定を後押しした。 申請に必要な資料は茨城大学や極地研を中心に30人以上の地磁気や化石など多分野の研究者らがまとめた。地層が含む微量成分の解析から、最後の地磁気の逆転が起きていた時期を高い精度で特定するなど、質の高いデータをそろえた。 イタリアの2地点は鉱物の性質が変化していたり、地磁気逆転のタイミングが手法ごとにずれていたりしたとされ、適切な記録と認められなかった。 市原市の地層は、チバニアンの時代における気候変動や生物化石など、当時の環境を知るうえで世界で最も優れた現場として国際学会のお墨付きを得た。

チバニアンの時代は、現代人と同じ人類「ホモ・サピエンス」が生まれた時期とも重なる。国内外の多くの研究者が千葉に注目すれば、千葉を舞台とした気候学や地質学などの研究が盛んになる。国内における研究も発展し、次世代の研究者の育成にもつながると期待される。









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アンテナ修理の顛末記・・⑩ 最終章 恩をカネで? [出来事]

前回( アンテナ修理の顛末記・・⑨ ついに劇的解決! )↓の続きです。


https://t2mary.blog.ss-blog.jp/2020-01-12



この〈あとがき〉を、書いて良いかどうか定かではありませんが、台風などで同様の被害に遭った方々のご参考になればと思い、UPさせていただきます。

公開して、万一差し障りが生じたときは、済みませんが削除させていただきます。






前のインチキ業者とはエライ違いです。



屋根から降りた技術者に(称賛の思いで)「よくコネクターが原因だと分かりましたね」と聞いてみました。

するとたったひと言。

『プロですから』。

畏れ入ると同時に、私はちょっとジェラシーを感じました。


作業後の片付けを終えて、(会社に出す書類にサインが欲しいので)『ちょっと中で待っててください』と言われ、私は家に入りました。

静かな路地であり、二人の相談の声、そして携帯で会社と長々と遣り取りする声が、家の中まで聞こえてきます。

彼らの問題は、上(=“〇〇〇MHZ利用推進協会”)から委託されている業務内容を超えた、余計な作業をしてしまった事です。


“〇〇〇MHZ利用推進協会”は、携帯大手4社とその他多くの民間企業、そして放送にかかわる事業ですから、おそらくお国も一枚噛んでいると思います。

その新規事業の電波が、テレビに受信障害を起こしている場合は、無償で解決するというのが彼らの役目です。

つまり、その事実が無い事が明らかになったにも拘らず、彼らは、ウチのTVの受信不良の原因を突き止め、(善意で)修理・解決してしまった。

上にしてみれば、『余計なことはするな!』『指示に従わなかった』と考えても致し方ありません。

上への“報告書”にどう書くか、という問題です。



一方、私は私で家の中で悩んでいました。

支払いです。

おカネを渡すべきかどうか・・・・

数週間前に、インチキ業者(素人もしくは詐欺モドキと私は思っています)に依頼し、TVの受信不良が直らなかったにも拘らず、『作業』は終わったからと、見積もり通りの約2万を請求され、私は払いました。



それに対し、今回の『プロフェッショナル』な二人は、その技術で、受信不良をいとも簡単に、確実に解決してくれました。

しかし、彼らの”業務”の制約上、”無償”つまり対価を請求することは禁じられています。

1時間ほどですが、仕事を見て話した彼らの印象からして、彼らのほうから何某かの対価の要求は来ないでしょう。


私としては、彼らがしてくれた行為に報いたい。

でもお金を渡せば、彼らの善意&親切をお金に換算(しチャラに)することになる。

それはイヤらしい振る舞いだと思うし、彼らに対し失礼だとも思える。




悩んだ末、結局おカネは渡しませんでした(渡そうとしても、受け取らなっかっただろうとあとで思いました)。


彼らの苦心の作の、”対策工事確認書”に私は署名しました。

内容は細かく書けませんが、『調査したところ、携帯電波による受信障害は無いと判断し、受信相談で完了とします。映像不良も無し』です。



要は彼らの成した事は記録には残らず、敢えて言えば、強く私の記憶に残ったのです。



私は路上で、精一杯の感謝の言葉を述べました。


彼らが作業車に乗り込んだ時、ちょうど次男が学校から帰って来ました。

私は小4の次男に「もう大丈夫だ! あの二人がテレビを直してくれたよ」と教えてあげました。



大喜びの次男は作業車に向かって、野球少年らしく直立不動の姿勢で大声で、『どうもありがとうございました!』と礼をしました。


次男なりに、”捨てる神あれば拾う神ある”という、人の世の習いを学んだのだと思います。








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アンテナ修理の顛末記・・⑨ ついに劇的解決! [工事]

前回の( https://t2mary.blog.ss-blog.jp/2020-01-07 )の続きとなります。




技術者の方は、屋根に上がってくれました。

私は、屋内のTVで受信状況をモニターしていました。

もう一人の方は、屋根上の見える路上で技術者の方と交信しながら、作業を見ていました。


私は窓越しに、「今現在は、BSも含め全局受信できています」 と伝えました。

屋根上の作業が気になり、外に出て地上の係りの方のところに行き、上を眺めつつ話しました。

『ブースターは、計測した結果、携帯電波を拾っていない(=干渉していない)ですし、上で計ってもTV電波の受信状況はすごく良いですね~』


(これは屋内のTVからして想像通りでして、私としては窮地です)



「ですが、今は映るんですけど、普段はTVが見れない時のほうが多いんです。」

「携帯電波がたまたま現在は弱いとか、利用している人が少ないとか、何らかの理由で今はTV電波が受信出来ているとかは、無いですか?」



『新しい携帯電波は、利用状況に関係なく24時間出てますから、それはないと思います』





少しして私は屋内に戻り、TVで受信状況を再確認しました。

するといつもの状態(=BS全滅、地デジ3~4局受信)になっています。

すぐ外に出て伝えました。

すると・・・

『今はブースター消えて(=電源ランプがついていない)ますね』


家の中のブースターの電源ランプは点いています。


屋根上の技術者はブースターを開け、何やら作業を始めました。


(下から見る限りですが、ブースターのカバーを外し、内部と3本の出入力端子をチェックしているようでした)


『ブースターが壊れているみたいですね~』


(ブースターの故障が原因だとしたら、稀に全局映るのはナゼ?? ブースター無しでも立派に受信するのか?? ワケがわからん)




ここで一緒に見ていた地上係の方から、ある雑談?(提案?)と云うかアドバイス?をされました。

私にとっては大変魅力的な話ですが、迷います。

何故なら、ちょっとしたウソをつかないとならないし、損得抜きで一所懸命やっているそのお二方にも、迷惑が掛かるかも知れないから(提案の内容は、blogでは公開できません)です。


しかしソレをすれば、この3か月間のTVの問題から恐らくは解放されるかも・・・

屋根上の作業を見上げながら、(どうしよう~困ったな~)と思っていると・・・


作業員の方が、アンテナ周りを離れ軒先のほうへ行き、何かを拾い上げました。

そして曰く、『コレじゃないかな~』


私の隣の地上係の方が、『〇〇(=屋根上の技術者のお名前)さん、スイッチ入っちゃいましたか!?』と冗談半分。



(その通りでしょう)屋根上では、もう無言の作業。


思うに、”技術者”としてのプライドが、”直せないことに我慢ならない”のです。

私も今までその手の経験は多いので、気持ちは分かります。

そして、彼が何をしているかもヒラメキました。

ソレが正解と直感しました。


恥ずかしい事に、今まで私はソレを思いつきませんでした。

言い訳すれば、”車椅子の私立探偵”さながら、この問題に於いては、私はもどかしい事に”現場”を見ることも触る事もできなかった(2階の屋根の上だから)・・・・。




約5分後、『大丈夫、直ったはずです、テレビ確認してみてください』


私は確認する前に、屋根上の彼に路上から大拍手を送り最敬礼しました。

それから屋内に入り受信状況をチェック・・・・やはり”パーフェクト”でした。




説明させていただきますと・・・

ウチのブースター、屋外機には3端子あります。

2つは、地デジアンテナとBSアンテナからの入力端子。

あと一本は、屋内機からの電源供給と、屋内機へ(ブースターで)増幅された受信信号を送る線です。

通常それは、屋根上から2階の外壁から屋根裏にいき、各部屋の壁面に配線されています。

TVアンテナから2階外壁までは家屋によって距離が様々ですから、(屋根上で)コネクターで延長されます。

そのケーブルのコネクター部分の接触不良です。

風速50m以上の台風の風で、コネクターが屋根に何度も打ち付けられ徐々におかしくなったか、その次の台風の大雨でコード内部に浸水したか、そのどちらかか、もしくはその両方ではないでしょうか。

そうであれば、何かの加減で接続していたり、雨露の侵入が乾いていたとかの時に、たまたま「全局受信可能」という状況の説明がつきます。





命には関わりのない『タカがテレビ』の事ですが、ひとつの”問題”がやっと解決され、私は随分ホッとしました。




〈アンテナ修理の顛末記・・⑩最終章 あとがき〉  に続きます。








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アンテナ修理の顛末記・・⑧ ホンモノの”技術者”が来た [テレビ]


前回の続きとなります。

前回= https://t2mary.blog.ss-blog.jp/2019-12-31



時間は午後2時過ぎ、天気は快晴でした。

奇妙なそして不運な偶然でしょうか、前回の業者の時と同様、この時も、地デジ・BSともバッチリ映っていました。

地上担当の方は、電波の受信レベルとブースターの室内機を確認(=異常無し)しました。

私は、「今は特別、普段はBS全滅、地デジは映っても2~4局」と説明し、「原因は分からないが、何かがオカシイ」と訴えました。

(このままでは、『問題(=携帯波による電波障害)ありません』と帰られてしまう・・・・)

とにかく一度屋根に上がり、新規事業の携帯電波がウチのブースターに干渉しているかだけでも、調べて欲しいと頼みました。

結果その地上担当の方が、トラックで待機していた相棒に話し、屋根に上がることになりました。

相棒の方は、所謂、”電気工事士”とお見受けしました。



・・・・目からウロコでした。
屋根に上がるための準備作業、身に付けている道具の数々のクオリティー・・・、それらは前回来た『アンテナ工事の千葉専門業者』とは大違いでした。

見た目だけでもう、「本物の技術者」です。



しかし、彼らが上から委託されている業務は、『新規事業の携帯電波が、TVアンテナのブースターに干渉し、電波障害を起こしている場合につき、ブースターにフィルターをかませるか、ブースター自体を交換する作業を無償で行う』ことです。

それ以外の事柄については、彼らには何の義務はなく、責任もありません。

私が気になっていたのは、『携帯電波による電波障害は地デジにしか影響はなく』、ウチのように「BSも映らない」という事は、(原因は他にある)のではないかと・・・




引っ張っているようで申し訳ないですが、次回、"アンテナ修理の顛末記・・⑨ついに劇的決着!"へ続かせてください。



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