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『ひとりでは、生きてゆけない』・・と云うよりも [終活]

『人間はひとりでは生きて行けない』・・・

『だから・・・・・』



みたいなフレーズを、まるでそれが、”正論”であるかのような、文章やメディア報道が結構あります。


ところが現実は、歳に関係なく、(苦しみながら?)ひとり所帯や孤独に生きる日本人が、増えているように、私は思います。


昭和後期に、大家族が絶滅しそうで、核家族が増えました。

その後の日本は、独身者や高齢者の一人所帯が、珍しくなくなりました。

そして今や『おひとり様』は増加の一方。

ウチは一応、核家族なのですが、もしひとり所帯なら、不便なことが多いと容易に想像つきます(”自由”もあるでしょうが)。


お上という特権階級が弱者を助けないのは、今に始まったことではないので、期待はできません。


『一人では生きていけない人間』と言いながら、一人で生きなければいけない人が、増えているのです。



とまぁ、それは世間様のこと、私は『ろくでなしのへそ曲がり』ですので・・・・

『ひとりで生きていく』なんて、ハナからどうでもイイことです。

『ひとりでは生きられない』と云うのは、ひとりで生きていこうとするから、『生きられない』となるのです。



ひとりだろうが、何人だろうが、関係ない。

むしろ私は、「一人で死んでいきたい」と願う者であります。

生まれる時も、死ぬ時もひとりと云うのは、人間以外の生物であれば、至極当然のことです。



インドのバラモンの教えだったか、”四住期”と云うのがあります。

人生を、4つの時期に分けて生きて死ぬ、というアレです。

若い頃、その考えを知り、少しハマりました。

「カッコイイ!」と思いました。



さて現代の日本。

”遊行期”は無理としても、”林住期”なら何とかなりそうです。

『ポツンと一軒家』に暮らすご老人のような・・・



全く個人的な願望ですけど、私は、死ぬ時に『誰かに看取られて』なんて、御免こうむります。

迷惑です。

通夜だ、葬式だ、墓だ、なんて大きなお世話です。

男一匹、70年以上生きてきて、そのくらいのワガママは通ると思うのです。


何処かで野垂れ死にする。

死骸は獣や虫、バクテリアが処理してくれる。

これは若い頃の私の理想でしたが、もう難しいかもしれません。

百年前なら、よくあったことでしょうが、現代では・・・・



以上、私の妄想。

実際どう死ぬのか・・・未来は分かりません。



ただ、どんなに立派な人でも、死刑囚でも、いつの時代でも、『死』という現実は等しい、のではないかと最近想像します。

少なくとも、”生まれて死ぬ”運命⁽さだめ⁾には、何ら差はないように思うのです。


私が人生をどう卒業するのか、楽しみです。





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あなたの歯はいくら? [終活]

何かで見たのですが、歯1本の値段=価値は(日本の歯科医の言うところでは)100万円だそうです。

USAの歯科医曰く、1本500万円。

無論、日米の歯が違うわけはないので、あくまで評価の違いでしょう。

親知らずを除く永久歯の数は28本。

歯の価値は、日本式ですと2,800万円、アメリカ式ですと1億4千万円となるわけです。


ならば、歯は生涯大事にしたいと思うのですが、それに気が付いた時にはすでに手遅れ?


私2年前、痛みにどうにも我慢できず、歯科医に行き被せモノをしまして、その後、「まだ、硬いモノを嚙むと痛みます」と歯科医様に正直に申し上げますと・・・・

『硬いモノを噛んではいけません!』

(エ~~~っ!)

(じゃ、なんで1万プラス払って治したのだろう? 歯は噛むためにあるんだし・・・)


『変わり球』を歯で割って構造を見たり、梅干しのタネを割ったり、歯でビール瓶の栓を抜いたり・・・若い頃にそういう『前科』のある私は、唖然としました。


(そうだったのか~)

道理で近頃、硬いせんべい(昔の『頑固職人』のような)とか、スーパーで見なくなったわけだ。

(ヘタしたら、訴えられるだろうし)

スルメとかもあまり見なくなったし・・・



大切なモノの”大切さ”とは、失ってから分かるという、我ら凡人のいつもの法則でした。










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なぜ、涙もろくなる [終活]

以下、あくまで私個人のお話です。

まぁ、いわゆる『年のせい』というのか、近頃、涙腺がゆるくなりました。

小5の時に、あることがありまして、今でいう『トラウマ』と言いますか、「もう絶対に涙を流さない」と子供心に誓いました。

以来半世紀、私の辞書に”泣く”という字はありません(笑)。

泣きそうな状況に遭っても、絶対に我慢しました。


『哭⁽泣⁾かないヤツ』として生きてきたのですが・・・



還暦を過ぎたころから(現在は古希です)、どうも難しくなってきて、映画やTVドラマを見ていて、下瞼に涙が溜まることもあります。

作り物の世界に涙するなんて、若い頃なら考えられないことです。


直近では、TVの童謡コンサートや、カタールでのドイツ戦勝利を見て、迂闊にもウルウルしてしまいました。



何故、『年寄りは涙もろい』のでしょうか?

やはり体力・気力が衰え、あの世が近くなるとそうなるのでしょうか。

それとも蓄積した知識や経験が、そうさせるのでしょうか。



まぁ、強弁すれば、「絶対泣かない」という負けん気?が強ければ、それはもう「泣かない」で済むわけです。


『涙を流すことは悪い事じゃないだろ、泣きたい時は泣いたって、いいじゃないか』

分かります。

それは正論でしょうが、個人的に、泣くのは女々しい人間のする屈辱的なことだ(←誤りと分かっていますが)、と思ってしまうのであります。

特に人前で涙を見せるなんて、新宿伊勢丹を全裸で歩くくらい、男として死ぬほど恥ずべきことなんです。



頑固なだけで、年寄りに成り切れない、バカな自分がいるようです。




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死ねば仏 [終活]

『どこの誰』という言い方はできませんが、亡くなった方やそのご遺族に、批判的な言葉を投げかける人達がいます。

逝去の報の後に、故人を蔑むゴシップを流す人も現れます。

世の中にインターネットが蔓延してから、はびこりました。


事実関係の有無はともかく、日本人には昔から“死ねば仏”という考え方があります。

死によって、”水に流される”。

日本独特ではないでしょうが、世界的に言えば少ないと言えます。

仏様を切り刻むわけにはいかないので、日本は解剖学などの分野が他国より遅れたのも、そのせいかもしれません。



石川五右衛門だろうと榊原何某であろうと親の仇であろうと、あちらの世界へ行ってしまえば仏様になります。

私はそういう日本人の寛容性?、優しさを、できれば無くしたくないな、と思います。


死後の世界は不明として、今生かされている人は、とやかく、まして悪しく、故人を言の葉に乗せるべきではないと思います。

まして『身内』でなければ、なおさらです。



人はみな、業(ごう)を背負って浮世を流されているのですから。


そうしないと、なんかこう、やるせないじゃないですか。


まして、私のような俗物は、図らずも人に迷惑をかけながら、ずうずうしくもまだ生きているわけですから、そう思わないと立ち行きません。

お耳汚ごしでした。




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落葉 [終活]

ついこの間、道路に落ちたウチの庭木の落ち葉を集めていたのに。


再びその季節になりました。


毎日忙しいせいか、年齢のせいか、1年がとても早く過ぎていきます。


(1週間など、それこそ「あっ」という間に終わります)




去年は、(ウチの庭木の落ち葉なのに)お向かいさんが手伝ってくれて、申し訳なかったのを覚えています。


毎年4~5回、道路の落葉を集めて棄てると、冬が来ます。


ウチの狭い庭に落ちた葉は、そこはかとなく?”風情”を感じますので、隅に積もるままにしています。


『枯れ木も山の賑わい』ならぬ、「枯れ葉も詫び住まいの賑わい」としています。





しつこいようですが、1年が本当に早く過ぎます。


これじゃ私なんぞも、あっという間にあの世往きでしょう。




後片付けや身辺整理は、今のうち自分で出来るだけしておこう。






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コメ袋が上がらなかった [終活]

床下収納にある30kgの米袋を、持ち上げて出そうとしました。


床にしゃがんで、両手を下に突っ込んで『ヒョィ』と持ち上げる・・・はずでした。

ところが・・・上がらない。

去年までは普通に上がったのに。


次に、膝や腰を傷めないよう、注意深く目一杯力を込めました。

(やっと上がった)

しかし、直後に息切れと動悸が・・・

数十秒ジッとして、治るのを待ちました。


1年1年確実に、体力は劣化しています。


高齢者だらけの日本だから、TVじゃ、毎日(たぶん)何百本も、『若返る!』だの『いつまでも元気!』なんてサプリのCMをたれ流しています。


絶対に嘘だ!

そんな不老長寿みたいなのは、100%あり得ません。

ほとんどの高齢者が分かっている、自明の理なのに。

バカげた夢や希望をネタにして、堂々と詐欺まがいな商売をしています。


”JARO”=日本広告審査機構も見てみないフリ?

勝手にしてくれ。



私は、終活を始めています。

あと何年かすれば、『世間』や家族のお荷物になるでしょうから。

自分に負荷を課すのは好きですが、ひとに荷物を背負わせるのは、矜持と云うか意地でもイヤ、それは不本意です。

その時その時の、”心と技と体”で生きていきます。

私に近づいてくる死は、すでにそのスピードを速めている。


どうせ、自分がいつあの世に行くかは、誰しも知らないのです。

だからその最後の時まで、やりたい事と成すべきことをやり続ようと思っています。


コメ袋が持ち上がらなくても、成るようになる。



まぁ、自分勝手なだけですけど。







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もう ♪いい~コロナ♪ [終活]

先日小寒の候、2021年の初ジョグしました。


正月も『貧乏(症?)暇なし』で、野暮用が途切れませんで少し間が空きました。



青い空の下、走るのは爽快です。

しかしながら・・・

2020年のジョグより、更に足が重く進まない。

年をまたいだ数日間は、いつもの数日間とは違うようです。

控えめに言っても、気持ち的には異なるようです。


其処はそれ『年を越した』、また年を取ったからでしょうか。


年寄るほどに心身のチカラが衰える(当たり前ですが)のを思い知らされるようで、浄土が招く?



・・・・私は死生観が現代の日本人とは、若干違うような気がします。
「いつ死んでもイイ」というと語弊がありますが、「人間いつ死ぬか判らない」という気持ちは常にあります。
それは16歳の時友達が事故死したとか、自分もその頃から何度も死にかかったりしたとか、長じては、死を日常的に見聞きするフィリピンで、20年間暮らした事も影響しているように思います。
まぁ死生観は十人十色ですが・・・・




そこで?ジョグ中に一句、浮かびました。



小寒晴れ  

お迎え来ても

いいころな



『いいころな~』と云えば、小林旭の”自動車ショー歌”の歌の文句を思い出しました。


https://www.youtube.com/watch?v=CAr_efilDew



東京オリンピックの年、私が小6の頃でした。


『コロナ』と言っても、今は車じゃないコロナ騒ぎの最中・・・・・時は流れました。








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ラクダの股引・・・年の瀬の邂逅 [終活]


20年住んだフィリピンの田舎ビーチを後にして・・・

5年前に日本に戻った時、無人となった実家の整理をしました。


その中に『ラクダのモモヒキ』もありました。

亡き父が穿こうとして買った物かも知れません。



私は形見の一品として、他の品々と共に持ち帰りました。


まさか自分が、そんな古臭いモノを使うとは思わず・・・・




ところが、翌年の冬から必需品になりました。



以来4年目の冬。

他に、ユ二✕✕とかのサーモテック?、今どきのタイツも何本かあるのに、この『ラクダの股引』が一番温かいのです。

その差は歴然です。

改めて、小さく丸まったタックを伸ばし見ると”レナウン”とある。

古いから当然 "日本製”
 

ナゼ今風のハイテクタイツより、古めかしい薄茶色の『ズボン下』=ラクダの股引のほうが暖かいのか、私には分かりません。



ですが、寒い冬に寝る時などその差は歴然、足が冷えないのです。

それから足首のところがダレない。

新しい近頃の股引(=タイツ)は、ひと冬使うと足首のところバカになって、締まりがなくだらしなくなります。



やはり、昔のメイドインジャパンが優秀なのか・・・・

4年目の冬にして尚、くたびれない。



それとも、あの世におわす父が、私を温めてくれるのか・・・・。



年の瀬の、父との邂逅でした。








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徘徊するなら、田舎に限る! [終活]

ド田舎でも都会でもない、千葉の小田舎?に暮らしています。


静かですから、お役所や警察車両の広報スピーカーの音がよく聞こえます。


内容で一番多いのは、電話による詐欺への注意喚起。

今の時期ですと、コロナウイルスとかもありますが、2番目に多いのは次のようなお知らせです。

『ピンポンパン ポ~ン[右斜め上] 』

『ただいま~、〇〇歳の男性(or女性)が行方不明になっています』


『特徴は~、△△で□色の上着~、☆色のズボンを穿いています』


『お見かけの方は~、●●署か▲▲までご連絡ください』


『ピンポンパン ポ~ン[右斜め下] 』





徘徊老人。

コロナのバカ騒ぎの最中でも、↑を毎週のように聞かせられる。

ほとんどの御仁は、暫くすると見つかるようです。



それにしても・・・世も末のようですな。

でもひょっとすると、貴方も私も”明日は我が身”ですよ。

都会や繁華街では、スピーカーはあっても聞こえないだろうし、どうしているのでしょう。




徘徊するなら、田舎に限る!








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自然界は変わらない [終活]


相も変わらず、朝ヨタヨタと『ジョギング』しています。

私の好きな時節、気持ちの良い今日この頃です。

田圃の稲穂はふくらみ、梨畑には旨そうな梨が、たわわに成りつつあります。

野鳥は飛び交い、蝉は鳴きわめき、ひとが『害虫』と呼ぶ生き物たちも含め、生を謳歌しています。

空の下、草木や昆虫、蛇、トカゲも、自然界の営みは、心を和ませてくれます。




『新型コロナ』の大騒ぎで変わったのは、人間界だけのようです。

人間は、なまじっか脳味噌が発達しているから、頭がCOVID-19に占領され、余計なこと考えて、何も出来なくなってしまったみたいだ。


『野生動物は感染しない』・・・なんてことは無いと思うのですが、彼らはやるべきことを常のようにしています。

生き物が生まれてきたのは、“命を全うする”ため。

人と違い寿命の短い彼らには、今を生きる事に意義がある。

身を守り、食べて子孫を残す。

これは、細菌もウィルスも同じことで、彼らも生き延びようとしているだけでしょう。

同じ地球の住民だから、皆にその権利はあると思います。





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