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フィリピン人がいなければ・・・・ [フィリピン人]



昨夜は雨が降り続けました。
熱帯特有のスコールではなく、日本の梅雨の最盛期のような強めのシトシト雨でした。
朝、水槽の水位でチェックすると昨夜の降水量100ミリくらい、洗車機の中のような激しいスコール5分間だと50ミリですので、たいしたことないですね。





さて一昨日、用事があって、ウチの前から乗り合いバスに乗った。
(田舎のバスは、どこでも乗り降りできます。)

時刻表があるわけはなく―――あったとしてもその通りに運行できるわけでもなく―――道路で30分待った。

運が良ければすぐ来るし、悪いと1時間待つこともある。

長男は、毎日通学でこのバスを使っている・・・・・。
根性があるのではなく、そういうバスしか乗ったことがないからであると思う。

私が昨日乗ったのは、ノンエアコン(エアコンの付いていないバス)で、運賃は安いけどオンボロだから要注意だ。

車掌は最後部の客席にふんぞり返って座り、携帯メールをしながら、乗客の乗り降りとキップ切りを惰性でこなしている。
服は汚れてだらしなく、お客に対する言葉遣いも、ぞんざいを通り越して乱暴の域だ。
(もっとマシな車掌もいるのだが。)

世界一ともいえる日本のサービス業の接客を知っている私ですが、フィリピンスタイルにも、もう慣れたので腹は立たない。
他のフィリピン人乗客は、こういう接客しか知らないので何も感じないし、だいいち似た者同士の同じフィリピン人同士で、ストレスはないだろう。

先日ある在比邦人のブログを見ていたら、よほど嫌なことがあったのでしょうか『フィリピン人がいなければ、フィリピンはとてもいい国なのだが・・・』と書いてありました。

とても大胆な発言ですが、『フィリピン人のいないフィリピン』ってどういうの?と言う疑問が出てきます。

置き換えて『日本人の居ない日本』と考えると、「それって、どこの国?」ってことです。
フィリピン人がいるからこそ、フィリピンなのですね。

その一昨日のバスで、旅行者のフィリピン人女性と年配白人のカップルが、自分たちの降りる場所を通り過ぎてしまいました。
(車掌が忘れたのかもしれませんが、この国では何事も自己責任です。)

すると、件(くだん)の車掌がスルスルと運転席に向かい、ひと言ふた言して、定位置の客用シートに戻りふんぞり返りました。

数分後、運転手は対向してきたバスを止めました。

そして車掌がその2人のお客を連れて降りて、そのバスに乗せ、相手の運転手にどこそこで降ろしてくれと頼んでいました。

フィリピン人は、この車掌ていどのレベル(失礼)の人でも、肝心なときは、たまには粋な計らいをしてくれます。

これは小さな出来事ですが、日本だったら、どうなっていたのでしょうか?

少なくとも、地方の田舎であれば、同様の対処をしたと信じたいですが。




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甘ったれ! [フィリピン人]


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朝、ウチのビーチでお客様の船をお見送りするスタッフ


こちらT2(“T2ゆかり”)、セブ島・オスロブ、ビサヤエリアです。
珍しくすでに1週間、天候海況が芳しくありません。
大崩れすることはないのですが、ダイビングもイマイチでした。

本日午後から天気が回復しました。
海中の透明度が戻るまでは、さらに2日くらいかかるでしょう。

現在、2名の男性ダイバー様がご滞在ですが、9泊と7泊の元気な姐御様方ダイバーグループは、昨日早朝チェックアウトされました。

ウチはセブ島の田舎、オスロブという所にある小さなビーチリゾートです。
私達夫婦とユミちゃん、それに5~6人のフィリピン人スタッフでお客様をお迎えしています。
基本、ヒマなリゾートですので、お客様が連続するとけっこう忙しい思いをします。
奥様Mは、“津軽ジョッパリ”ですから、連日文句ひとつ言わず、早朝から夜まで働きづめです。
私も古い人間ですから、過去にはもっとずっと忙しい思いをした経験がありますので、あまり苦になりません。

ここから恒例の『愚痴ブログ』になります。
フィリピン人スタッフ、忙しくなると働かなくなる。

仕事だとすぐ疲れる
根気がない
飽きっぽい
途中で投げだす
ザツになって物を壊す
人にあたる

見ていると、5~8歳の子供と同じような感じの精神状態なのでしょう。
全員が全員ではなく、中には多少疲れても、義務感からしかたなく働く人もいる。
ごく稀にとても仕事熱心なフィリピン人もいるが、そういう優秀な人はこんな田舎に残らず、都会や海外に出て高給を得るからウチには来ない。

これは別にウチだけの悩みでなく、フィリピンの田舎でビジネスをしている人共通の問題です。
フィリピン人経営者の場合、このことは当然熟知しているので、首切りや給料不払い、賠償請求で、冷徹に対処している。
しかし、当方は外国人、しかもお人よしの日本人ですからそこまでできず、なだめすかし、甘やかし、何とか本人が仕事に向き合うように対応している。


そこで、以前聞いたこんな話を思い出しました。

高齢のフィリピン人の話だそうです。
(私はご本人から直接聞いたわけではありません。)

曰く、

「過去われわれは、スペイン、アメリカと何百年も植民地支配されてきた。」

「だが彼ら白人はその何百年のあいだ、われわれフィリピン人に鉛筆の作り方さえ教えてくれなかった。」

「同じアジアでも、一時、日本の植民地になった台湾、韓国の今を見てくれ。経済も活発で産業も発展している、羨ましいかぎりだ。 フィリピンが日本の植民地となった2年半はみじかすぎた。」



・・・・・・・
日本人の自尊心をくすぐる話ですね。
確かに、かつて日本の軍部が『大東亜共栄圏』構想のもとに、アジア諸国に進出し、統治国であった欧米諸国を一時的にせよ圧倒的強さで追い出したことが、その後のアジアの国々の独立に繋がったことは否めない。
台湾と韓国のことも結果は然りでしょう。


しかし、上のエンピツ話はちょっと・・・・・


「甘ったれるな!」と思いませんか。


明治の維新後は無論、1500年も大昔の遣隋使、遣唐使の時代から、日本は当時の先進文化・文明を、命がけで入手して学び発展させてきたのです。
日本が、有色人種の国として・・・・白人の国と戦争して歴史上初めて勝った事も、初めて世界の主要国の仲間いりした事も、経済大国と成ったことも、偶然でも運でもないと思います。

国民性の違いなのでしょうが、日本人は決して、『教えてくれなかった』なんてセリフは言わないし、思いもつかないでしょう。

甘ったれるな!

椰子の実でさえも、木に登らなきゃ手に入らないのだ。





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船乗りじゃない、武士の末裔だ! [フィリピン人]





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上の画像は、ウチのワークショップの壁にあるロゴです。

ロゴといっても、元は先祖代々の我が家の家紋に色付けしたものです。


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4年前、お客様の支持を賜り、奥様Mと私が“T2ゆかり”の建設を始め、このロゴを掲げたとき、近所の村人の反応が面白かった。

このロゴのせいで、いつの間にか、私は“シーマン”(=“船員”=船乗り)ということになっていた。

そりゃ、『船乗りになって、七つの海をこえ、世界中を回り・・・港々に女が・・・・』というのは、若い頃の私の希望のひとつでした。
しかし、現在、船乗りでもない私が、好き勝手に『船乗りだ』と言われるのは納得がいきません。

なぜ『船乗り』かと噂の真相を糾すと、ウチの家紋のデザイン中央の“沢瀉(オモダカ)の葉”が、フィリピン人には、船のスクリューに見えるらしい・・・というか『これは船のスクリューだ!』と決め付けているんですね。

百歩譲って、ウチの家紋のオモダカの葉がスクリューに見えることを認めたとしても、なぜそれで、私の職業が船員、船乗りなのか?

船乗りの“シンボル”と言えば、私なら、錨(イカリ)とか舵輪(だりん)を想像します。
スクリューが世に出てたかが数百年、錨や舵輪は帆船時代からですから、千年近いのではないでしょうか。


一方、こんな田舎の漁師町で、ソコソコの家を建てられる人は決っています。
まともな家(=掘っ立て小屋でない?)の9割は、海外出稼ぎの家、日本人、西欧人など外国人をうまく垂らしこんだ家、そして一家の主が外国航路の船員の家といって過言ではありません。
このあたりの庶民(=貧困層)が、貧困を抜け出すにはそれしかないからです。



そして、なぜスクリューデザインが船員なのか?
その理由を先ごろついに突き止めました。


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こちらで『ぺティキャブ』とか『マルティキャブ』と言う乗り合いジープニー。
トライシクルと並び、セブの人々の日常の『足』です。
して、わがオスロブ町のマルティキャブには、後ろにこういうマークをよく見かけます。


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私は気にしていなかったというか、気が付かなかったのですが、あるお客様が、

『アレは、扇風機が中に付いているってことですか?』

と私に質問しました。
そんな筈はないので、そこで、私は過去の疑問に合点がいきました。

これはどう見てもスクリューです。

ニブイ私でも、ピンときたんですね。

確認のため、運転手に聞きました。

「なんでこんなにスクリューの絵が描いてあんの?」


『この車のオーナーがシーマンだから・・・』

〔ビンゴ!〕です。

「じゃオスロブ町のマルティキャブで、スクリューの絵が描いてある車は、ぜんぶオーナーがシーマン(船員)なのかい?」

『だいたい、そうじゃないの。』


こういう『刷り込み』がされている人達ですから、T2のロゴを見て、私が船乗りだと思うのは、致し方ないでしょう。


ちなみにウチのすぐ近所にも2軒、主(あるじ)が船員の家があります。
1軒は、ウチの3倍くらい大きい豪奢な豪邸です。
オヤジは、外国航路の船長待遇です。
娘はウチの長男の同級生です。

もう一軒は、ウチのすぐお向かいさん。
3年前から、300平米程度の2階建て住宅を建て始め、現在屋根の鉄骨トラスを組んでいます。

余計なことですが、ウチの家紋“丸に立ち沢潟”は、船乗りとか海賊とは何ら関係ありません。


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国道に面したウチの塀です。








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国際結婚の離婚率だって [フィリピン人]


統計から物事を決め付けたり、結論を云々するのは、統計というより早計と云える場合が多いと思いますが・・・・。

どこかの方もブログで取り上げていましたが、先日こんなニュース(↓)がありました。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120508-00000028-cnippou-kr

記事内容:日本の国際結婚を分析した結果、日本人男性-韓国人女性のカップルの離婚率が最も高いことが明らかになった。JPニュースは、日本人男性と結婚した女性のうち離婚率が最も高いのは韓国人女性で、離婚率は45.5%と伝えた。次いで米国人女性(41.5%)、 フィリピン人女性(40.5%)などの順だった。一方、ブラジル人女性は31.7%で最も低かった。中国人女性も35.5%と低いほうだった。 日本人女性の場合、フィリピン人男性と結婚したケースの離婚率が70%で最も高く、英国人男性との離婚率が21%で最も低かった。


あまりにハショッタ記事でしたし、ウラも取りたかったので、ちょっとネットで見るとこんなのも(↓)、これは細かく出ています。

http://marriage.life.coocan.jp/kokusai.html
(結婚相談情報 国際結婚の離婚率)



普通は“離婚率”とは、「人口千人あたりの、1年間の離婚件数」の事をいったり、「ある年の全国の離婚件数を 新規に婚姻した件数で割った率」のことを云うらしいのですが、この記事の場合はどういう計算なのでしょうか。

私的には、例えば100組の夫婦がいたとして、死別するまでに離婚した割合(パーセンテージ)みたいに考えていたのですが・・・これだとなかなか〔結果=統計の数字〕が出ませんから違うのでしょう。

どうなんでしょうね。

まぁしかし、国名に関しては、大方の予想通りではないでしょうか。

皆さんは、どうお感じになりますか。


私が今いるフィリピンについて云いますと、〔フィリピン人妻・ワースト3位〕、〔フィリピン人夫・ワースト1位〕の堂々とした成績です。
オリンピックではぜんぜんメダルが獲れないと思ったら、しっかりこんなところで金と銅です。

「やっぱりなんだなぁ~」

と、思わず微笑んで?しまいますね。

自分のことを高い棚にあげて言いますと、特に男、在留邦人の多くが実感しているように、この国の男は、ホントにどうしようもないのが多いですから。

フィリピン人でさえ、自分の娘に『フィリピン人とは結婚するな!』というくらいなのです。

在比15年者の感覚では、〔フィリピン人男性―日本人女性〕の離婚率は9割以上と思っていましたが・・・。

私はむしろ、残りの3割という日本女性の忍耐強さに驚きです。


この組み合わせだけに限らず、今の世の中、じっと耐えて忍ぶのは流行らないようですし、離婚歴があってどうこうという事も無いようですので、取り返しの付かない事態になる前に別れたほうがいいのでは・・・・なんて余計なお世話ですね、失礼いたしました。

思うのは、よその国の離婚率の統計で、日本人男性と日本人女性がどんな位置にあるか・・・・見てみたい気がします。

ちゃんとした統計がある先進諸国限定になるでしょうが。








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フィリピン出稼ぎメイド悲話 [フィリピン人]








以前うちにいた女性スタッフAの話です。
田舎の普通の家庭(つまり貧困層)の主婦です。

2年前にウチを辞めて、サウジアラビアにハウスメイドとして出稼ぎに行きました。

はじめの半年くらいは、ブローカーへの借金返しで仕送りできません。
行くためのパスポート取得費用や、マニラでの研修教育の費用がぜんぶ借金(それが普通)で、給料からまずそれらを返さないといけません。

行った先は、フィリピン人メイドだけでも20人居ると云うサウジのサルタン家系の家庭で2年契約です。
彼女の担当はその家の娘(王妃?)で、仕事は長いけど厳しくはなく、アラブでよくある『使用人虐待』とかもなかったそうです。

寝場所や食事は無論タダですが、中近東メイドは欧米諸国のメイドより給料が安いのが玉に瑕(きず)です。
斡旋したブローカー(会社)が、その後の給料までピンハネ(よくあります)していたかどうかは分かりません。

フィリピン人女性の海外就労メイドが何万人いるか、詳しい数字は覚えがないですが、とにかく海外出稼ぎだけで成り立っている国ですから、10万人ではきかないはずです。

彼女達の目的は当然ファミリーのサポートです。
たいていの女性が、収入のほとんどをフィリピンの家族に送金します。

さてこの元スタッフAのケースですが、給料をぜんぶ夫に送金。
夫はそのお金を生活費、家の建築費、子供(10歳ひとり)の教育費、貯蓄などに手当てする事になっていました。
とまぁ、ここまで書けば在比の長い方でしたら、先は見当が付きますね。
そうです、そのパターンです。

・・・・つまり、妻の稼ぎが入ってくるようになると、夫は一切の仕事をしなくなり、子供はほったらかし、朝から酒飲んで、挙句の果てに近所に愛人までつくった。
家はボロ屋のまま、貯金どころか、むしろAの稼ぎを当てにした借金まである。

この国の、典型的な庶民(=貧困層)の男の性(さが)です。

家も貯金も少しもできず、近所の噂話だけが盛り上がる。
しかし誰も、ダンナとそのファミリーの仕返しが面倒だし、Aが可哀想でAに伝えるのをためらう。
人のことには関知しないという『変な個人主義』のせいもあります。

当人Aは先月2年の契約を終えて一時帰国したのですが、風の噂どおりの状況に、休暇を終えて時点でサウジに戻るべきか、今現在悩んでいます。

要は・・・・・・

旦那がそういう(ごく普通の)フィリピン人男子ですから、サウジでメイドして稼ぐお金が、ファミリーと離れて暮らす事に見合うかどうかって事ですね。

(注:誤解されないようにいつも書きますが、この旦那のようなどうしようもない―――我々日本人の眼からすればですが―――フィリピン人男子が100%と言うわけではありません。大多数というだけです。稀にマジメな男も存在しますよ。)



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現在ウチでアルバイト中のご本人です。






























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アブセント、みんなですれば・・・・・ [フィリピン人]




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相変わらず、穏やかな海が続く、オスロブ・ラグンデ村の“T2ゆかり”です。




だが、ウチはお客様がよくとぎれる。
自慢にならないが、連続してお客様が入ることなど、滅多にない。

したがって、お客様が入る前とお帰りになった後は、それぞれ準備と片付けにオオワラワとなる。

問題は、お客様がお帰りになったあとのこと。

普段は、マイペースでダラダラ働いているスタッフが、お客様がいらっしゃるとソコソコ働くので、その反動がくる。




生まれつき、働く事に慣れていない人たちだから・・・

ゴロゴロと、食っちゃ寝だけの暮らしをこよなく愛する人たちだから・・・

ちょっと働くと、すぐ疲れたり病気になっちゃう人たちだから・・・


7名組のお客様が帰ったあとは、まずRが、次はJが、さらにMが・・・という具合に“ABSENT=アブセント”(欠勤)のアメアラシとなりました。

日本人の勤勉さと清潔好きのように、フィリピン人が世界に誇れる?事のひとつに『言い訳上手』があります。
次から次へと考えつく、いえ、無意識のうちに、自然に出てくるのでしょう。

『歯が痛いから・・・』

『のどが痛いから・・・』

『疲れたから・・・・』

『友達と会うから・・・』

『明日は病気なので?医者に行く』


と日本人の常識からすれば、それが仕事を休む理由になるのか?ということを臆面もなく言ってのけ仕事に来ません。

そしてそれと同等の割合で、無断、無連絡の欠勤&遅刻。

奥様Mと私は、以前から、『どうしたら、無断欠勤や常習的な遅刻をなくせるか?』と無い知恵を絞り実行してきました。

およそ考え付く手段をほとんど実行してきましたが、効果なし。



そこで、今度は『アブセントの回数は、昇給とボーナスに影響する』という告知をしようとした矢先の事でした。

敵は一枚うわてでした。

我々の次の一手を野生の本能で見抜き、ビートたけしじゃないですが、“アブセント、みんなですればコワくない”と共同戦線をはったようです。

もともと、『お金は欲しいけど、仕事をしてまで欲しくない』というこの近所の人たちですから、この作戦も自信がなかったのですが・・・・

土地柄と云ってしまえばオシマイですが、厄介で一筋縄ではいかない人たちです。






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トレペホルダーを知らない [フィリピン人]








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場違いな所で撮っていますが、これはトイレットペーパーのホルダーですよね。

日本人なら、子供からお年寄りまで、知らない人はいないと思います。


先週のことです。
お客様がチェックアウトし部屋掃除が済んだ後で、チーフのジェニファーが「トイレのペーパーホルダーが無くなっている」と報告してきました。

T2のお客様は、ほとんど日本人の方々です。
まれにシャンプーの小瓶など、記念にお持ち帰りいただくお客様はいらっしゃいますが、トレペのホルダーとなると、ちょっと考えにくいですね。

・・・・

翌日午後、焼却場から半分燃えて出てきました。
慣れない掃除担当スタッフが、ゴミと一緒にビニール袋に入れて、燃やしたんですね。

なぜこういう事が起こるか?

ここはフィリピンの田舎です。
たいていの人は、トレペホルダーを見たことが無いから、それが何だか分からないからですね。

フィリピンの人たちのトイレの後の始末の仕方を、ここでこと細かく説明する気は無いですが、要は、庶民はペーパーは使いませんので、ペーパーホルダーもありません。
ついでに言えば、水を流すボタンもレバーもなく、便座カバーも、さらにはその上の蓋もなくて普通です。
それどころか、フィリピン庶民の家庭のトイレをごく普通の日本人が見れば、思わず後ずさりして使う気にはならないでしょう。
お上品な日本人マダムなら、気絶するかもしれません。
(まぁ、田舎のフィリピン人も、日本の最新式自動トイレを見たら、気絶するかもしれませんが。)

戦前戦中派のご年配の方々は、「日本だって昔はそうだったんだよ。」と言われるかも知れません。
でも少し違うような気がします。
ここでは、トイレの無い家だって、それほど珍しくはないのです。
では、「どうするのか?」と思うでしょうが、まぁ、野良犬をご想像下さい。

そんなわけで、冒頭のホルダーの写真は、先日セブ市で買ってきた品です。

田舎では、どこにも売っていません、需要がないですから。



3月のカレンダー・きずな [フィリピン人]




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3月に入りましたので、ワークショップのフィリピンカレンダー、3月分をチェックしてみましょう。









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若者が3人、牛の糞がたくさんありそうな原っぱで、布を敷いて寝転がっています。
傍らのバスケットには、お決まりのこのパン屋さんのパンが置いてありますね。







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決め文句は“Bonding Moment”、“きずなのとき”とでも訳しましょうか。

(“bond”の意味↓)
http://ejje.weblio.jp/content/bond

“bond”にもいろいろ意味がありますが、この場合『きずな』と製作者の意図を汲んで訳すより、[束縛する、拘束する、接着する、結合する]のほうが適切?なんて、たいして英語も出来ない私ですが思います。

暑いところでわざわざ引っ付いて、飲み物もなしにパンをかじると、『きずな』なんですね。
牛やヤギの糞はもちろん、赤アリとか破傷風菌とか怖くないのでしょうか。
一緒に赤アリや毒ムカデに刺されて、共に痛たさ痒さを分かち合って『きずな』ですか。

たしかに、この国の人達は、何て言いましたっけ・・・・よく言う・・あの身体と身体の距離感覚のこと。
30センチ以内なら恋人とか、45センチなら親しい友人だとか、嫌いな人は1m以上とかあるアレ。
あの距離感覚が、我々とは違います。

他人でも近いんです。

なんか、やたら馴れ馴れしいというか、キモチワルイ(相手次第ですが)というか、近すぎるんですね。
ジプニーとかバスで他人と隣りあわせで、ナマ足同士、ナマ肩同士が<ブチャ~>とか引っ付いても、気にしない人が多いです。

思うんですけど、“きずな”というのは、心と心、気持ちと気持ちが通じ合うとか、特に苦難を共有し乗り越えた時に“きずな=人と人との強い結びつき”を感じるというのが普通のような気がします。

でもフィリピン人の“きずなの原点”は100%?家族なんですね。
しかも自分の家族だけに限られます。

狭い床に、イワシの缶詰めのように、親兄弟が重なり合うようにして寝起きした。
全てといっては大げさですが、フィリピン人の特性の多くは、その一般的フィリピン人に共通する『家族ざこ寝』という“幼少期の原体験”からスタートしている―――かなり乱暴な論理ですが―――のかもしれません。

Family・・・・・

良くも悪くも家族第一。

最近の日本には不足気味の、フィリピンには過剰気味の“家族のきずな”ってヤツでしょうか。




“きずな”ということで想えば、計らずも、東日本大震災1周年の3月のカレンダーでした。

被災され、無念にも亡くなった方々のご冥福を改めてお祈りし、残された方々の奮闘努力に心よりのエールをお送りいたします。



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ママ・アテ・ハイディ [フィリピン人]











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現在の次男・2才の子守り(ベビーシッター)さん、ハイディです。







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次男を可愛がって、良くやってくれています。

5人目?かな?
南洋ボケの私は、彼女ですでに何人目のベビーシッターか思い出せません。

見ようによっては、若い女子をとっかえひっかえ、羨ましいようですが、今までのベビーシッターの中には、『子』を『守り』するより、無知からか『子』に『危険を及ぼす』タワケ者もいて、預ける方もヒヤヒヤモノでした。

ハイディは、性格も穏やかで、長く続けて欲しいのですが、この国の人たち、特に田舎の人たちは、仕事に対する感覚が、日本人とはだいぶ違いますから、辞めるときも、野良猫のようにある日プイと居なくなります。

彼女の場合も分かりませんね。

しかし、連絡もせず勝手に休んだり、他の仕事をしないのはこの国スタイルだから仕方ないとしても、次男に『ママ・アテ・ハイディ』(“ママ”は母、“アテ”は姉です)と呼ばすのは、止めてくれないだろうか。

そういえば、ジェニファーも最近まで次男に『ママ・アテ・ジェニー』と呼ばせていました。

我々がそれに気がついたのを知り『マズイ』と思って止めたようで、以後は『アテ・ジェニー』(ジェニー姉さん)になりました。

可愛がってくれるのはありがたいですが、『ママ』はひとり居れば良いでしょう。



・・・・なんて事を実は、ホンのつい最近までしていたのですが、子供の成長は早いものです。

次男は今や、お局のジェニファーを「ジェニ~ィ!」と呼び捨て、子守りのハイディを「ハイディディディ~ッ!」とからかっています。




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最近の次男に関する“!?!”は、ある夜半のことでした。

普段からおしゃべりなのですが、ベビーベッドの底で半覚醒、つまりウツラウツラした状態で、5分間ほど、何か一人でしきりにしゃべり続けていたのです。
が、それが全部ビサヤ語で、奥様Mと私は全然意味が分かりませんでした。
そして、しゃべり終わると同時に眠りました。

奥様Mと顔を見合わせ、
『コイツの前世はビサヤ人なのか?』と一瞬思いましたね。





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すばやい引き際 [フィリピン人]





夜明けと共に近所の子供達が、タッタッタッとウチのスロープに来ました。

ササッと服を脱いで水遊びを始めました。





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30分もいたと思ったら、パッと帰っていきました。
見事な引き際?でした。
この国のたいていの人は、何でもダラダラやるのが皆さん得意なのですが、あれは後に学習したものなのでしょうか?


それとも、この子供達は、飽きたからオシマイということなのでしょうか?


だったら納得できます。






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