2Fの床、セメント打ち終了 [パノラマルーム]
今朝、スタッフルームの屋根の上から撮影。
きのうの続きになりますが、結局昨日のセメント打ちは、午後6時前に終了いたしました。
普通に考えれば、いくら田舎のフィリピン人作業でも、ビーム(梁)を含んでいるとしても、54平米のセメント打ちを12人でやって、日暮れ前に終わらないはずはないのです。
まあ、駆け引きですね。
ウチは、工事契約ではなく手間賃仕事の日給給ですから、彼らにしてみれば、長引かせばそれだけ収入が増えるわけでして、そこら辺りに丁々発止のやり取りが出てきます。
私もダテにフィリピンで工事経験積んでないですから、彼らの希望?も多少は受け入れつつ、彼らのメンツ?も潰さず、しかし、大方はこちらの意向で運ばないといけません。
画面に5人映っていますが、動いているのは棟梁のエンボイ(右端手前)だけです。
昨日は〔いつものメンバー+助っ人〕でしたから、チームワークがありません。
動く人と見ている人に別れて、交代交代で仕事する。
常ではないですが、これがフィリピン国中のスタイルです。
2人で1人というか、3人で1人というか、ま、暑い国だから仕方ないと言う人もいますが、昨日のように暑くないときでも、同じです。
誰も汗かいていない(笑)。
この本能のままの(ヤル気のない)人たちを、いかにしてネジを巻いて動かすか・・・です。
ジッと監視続ければそこそこ動きますが、そうしていない時も動かすのはなかなか難儀です。
私はよそ者、ここは彼らの国、彼らの土地ですから・・・・・
さて、現場仕事で、セメント打ちの日は『特別の日』です。
習慣的に、この日は建て主が食事の面倒をみます。
昨日の場合、朝6時から始めていますので、まず7:30朝食、10:00オヤツ、12:00昼食、15:00オヤツ、18:00夕食でした。
12人前のこれらの支度も大変ですし、費用もかかりますが、食べるほうもこれじゃハラが張って動けないと思うのですが、そんなに動かないからいいのか。
貧困層は、食べられるときに食べるという習慣があるので、あれば、一般日本人の2~3倍は食べますし、1日に何度でも食べます。
助っ人は、割り増し給はもちろんですが、この『食べ放題』が目的で来ているようなものです。
仕事中に比べ、食べている時の何と幸せそうな顔か・・・
パノラマルーム2階のスラブ打ち [パノラマルーム]
建設中のパノラマルーム。
今日は2階のスラブとビームのコンクリート打ちです。
見積もった資材、セメント110袋、砂2トントラック3台、砂利2トントラック3台はすでに買い揃えました。
大目の見積もりですが、『スラブ』というのはもともと『一枚岩』という意味ですので、休みや日を置かず一気に仕上げないとなりません。
途中で資材が尽きるとスラブになりません。
余った資材は、この先の工事に使えますので問題ありません。
セメントバケツを2階に上げる滑車とロープ、水ホースなどの細かい準備も事前に完了です。
朝6時からスタート、休憩・食事時間を除き、ぶっ通しです。
作業員は12人。
パノラマルームの2階はリビングとテラスで、スラブの面積は、リビングが38平米(23畳)、テラスが14平米(8.5畳)です。
この程度の広さではフィリピンの場合、コンクリートは手ゴネが常識です。
ミキサーの借り賃より、人力の人件費のほうが安いのと、ミキサーを借りればミキサーのオーナー(小金持ち)の収入ですが、手ゴネなら近所の村人の収入になるからです。
同じ理由で、ご存知の通りウチは遠方の職人や業者は雇いません。
多少ウデが悪くても、私がカバーしますので、近所の人たちを雇い生活費としてもらいます。
さて、10時現在、まだ4分の1しか終わっていません。
このペースですと、終わるのは夜11時とかになります。
棟梁エンボイにハッパをかけて、もっと効率の上がる作業法を指示しました。
ここはフィリピンです。
物事、任せっぱなしでは何もうまくいきません。
頻繁に確認して、指示を出して、また見て確認する。
8時頃には終われるだろうか・・・
・・・・・・無理かなぁ~
エンボイ、ごめん [パノラマルーム]
わが町オスロブの“フィエスタ=お祭り”のため、金曜から日曜までパノラマルームの現場はお休みです。
さて、エンボイごめん、と、とりあえず書いておこう。
http://t2mary.blog.so-net.ne.jp/2012-11-28
10日前の記事(↑)では、「エンボイが元に戻ってしまった」と書いたが、どうやら『ちょっと忘れていた?』だけだったようだ。
私の早とちりか。
やはり、エンボイはエンボイだった。
頑固者だ。
パノラマルームの柱の鉄筋組。
フィリピンの委託工事の手抜きは、日本のそれの比ではない。
在比の方はご存知のように“バレなければ、何をやってもいい”という常識?が民度の低い国にはあります。
建築士や現場任せにせず、ちゃんと見張っていないと、この半分の鉄筋も入らない。
ブロック塀に、鉄筋代わりに竹の棒が入っているのを見たこともある。
だから私は、委託工事にはしないで、ウチで職人を雇い、日給を払い手間賃仕事として工事を進めている。
すると彼らには手抜きをする理由がなくなる。
また、私は現場をしている時は、30分おきとか、ほぼ付きっ切りで監督し指示を出している。
それを怠ってしまって、イヤな目にあった経験が何回もあるからだ。
したがって、月に2度とかセブ市に資材をかき集めに行くときは、現場も休みにしてしまう。
上の話は、日本の方には多少の驚きかもしれないが、この国ではだいたい常識です。
話が逸れました。
柱の基礎はもうコンクリートの中に埋まっています。
木と合板で型枠を作り、コンクリを練って流し込む。
地面を深さ2m掘り(床のレベルからなら2.8m)下に石を入れ捨てコンして、鉄筋で組んだベースを入れ柱を建てる。
柱と柱は地中梁で繋ぐ。
ほとんど地震のないセブでは稀な頑丈さだ。
竣工までには、4~500袋のセメント、約3トンの鉄筋を使うことになるだろう。
わずか120㎡の2階建てで、しかも片面の柱と壁はすでにある、増築なのに・・・・
当然他にもジャリ、砂、ブロック、材木・・・
費用の事を云えば、建物の大まかな形が見えたあとには、トラスと屋根、給排水のパイプ類、電線、配線器具、ペンキ、ドア、窓、トイレ、洗面、シャワーなど水周りの機器、家具、ベッド&マット、照明・・・etc・・・etc。
設計し、資材を探し手配し、建築費をやりくりする奥様Mと私は、毎晩頭がキリキリ痛むが、完成しお客様をお迎えしたときの喜びと開放感を想像して、それまでは我慢、我慢です。
また、話が逸れてしまった。
エンボイは、私の云うことは聞くが、意見が食い違うとき・・・・それは私が“手抜き”とまでは言わないが、材料の経費を節約しようとして「ここの材料は、これでいいんじゃない」とか「ここまでしなくて、いいよ」みたいな事をいった時、頑として引かない。
そういう場合は、だいたい彼のほうが正しいので、私もそんなに強くは言えない。
施主として、“命令”することは可能だが、エンボイの『ちゃんとした建物を作りたい』という気持ち=職人気質が、内容はどうあれ、軍鶏(シャモ)のような目からヒシヒシと伝わってくるので、それができないのだ。
過去の衝突をひも解けば、
クラブハウス2階のスラブに、多くの鉄筋と分厚いセメントをつぎ込んだとき・・・
『これなら車が走っても大丈夫だ。』と言い放った。
どこの家の2階を車が走るんだ!
海沿いのストーンテーブルを作ったとき・・・・
「これでヘリコプターが降りても壊れない」と満足した。
1.4m×3.4mのテーブルに降りられるヘリはない!
ウチでしている工法は、日本なら50年前のそれだろうし、日本人の職人と較べれば、数段落ちる知識と技術である事は間違いないが、一所懸命やるので好感が持てる。
エンボイのような職人は、フィリピンでは得がたい人材のひとり、かもしれない。
しかし言っておくが、建築士契約のコントラクト(契約工事)で働くときは、手抜き常識なので、エンボイの主張は通らないはずだ。
彼が彼らしく働けるのは、ウチの現場くらいなのだ。
そのせいか、どうも此処のところ、でかい現場には出ていないらしい。
隣り近所の、小さい増改築工事で暮らしているという。
エンボイ、ウチはいいだろ、好きなようにできて。
たまには、ありがたいと思えよ。
取り除いたもの [パノラマルーム]
現在建築が始まった“パノラマルーム”の地所は、もとは物置とスタッフ用のスペースでした。
先日、椰子の木を切ったと記事にしましたが、その他に、こんなものも取り除きました。
目(汚さ)隠しの塀、これは一部ですが、ほとんど取り除きました。
その内側にあったバナナの木。
椰子の木と違いバナナは、苗を植えればすぐ伸びて実が成り、地下茎でどんどん増えるので、切ってもちっとも惜しくありません。
スタッフの調理用と、ごみ焼却用のカマド。
これは作るとき苦労したので、壊すときはちょっぴり心が傷みました。
流し。
ま、これも多少思いはあるけど、仕方ありません。
壊しました。
古材木置き場。
最近、スタッフがゴミを置くようになり、壊してせいせいしました。
大袈裟な感想かもしれませんが、こんなことでさえも、『何かを新しく創るということは、それまであったものをブチ壊すこと抜きには出来ない』という事を暗示しているようです。
新しい自分も然り、
新しい世の中も然り、
そして私は、けっこう、それが嫌いではありません。
私事で恐縮ですが、母の腹からオギャ~と産まれて60年、今思えば、もの心ついてからの人生は、ずっとそんなことの連続でした。
簡単に言えば、飽きっぽい、だらしない男、なんでしょうね。
椰子の木1本、倒しました [パノラマルーム]
久々に椰子の木を一本、切り倒しました。
パノラマルーム建築の用地内にあるからです。
一本だけですので、木こりを雇わずウチで切りました。
画像中央の木です。
よく実が成る、若く元気のよい木です。
もったいないけど、仕方ないです。
てっぺん丸裸にして、切込みをいれロープで引っ張ります。
先っぽが『ズシンッ!』と地面に落ちます。
このあとも2m刻みに倒していき、最後に根を取り除く。
この根を掘り出すのが、人力なので大変です。
冗談でなく、4人がかりで丸2日半かかりました。
落とした実は、スタッフに全部あげておやつとして、私は木の先の成長点を確保しました。
中心の白い所です。
ビサヤ語で『ウボッ(ド)』=UBODと云います。
一本の木にひとつしかない貴重品です。
キレイな象牙色です。
生でムシャムシャ食べても、サラダにしても、調理しても旨いです。
筋のない『サクッ』とした食感で、甘味とココナッツ風味があります。
生でシャキシャキやってると、“やめられない、とまらない”味です。
これを食べられるのは、田舎に住む特権のひとつです。
性状記憶?フィリピン人 [パノラマルーム]
形状記憶合金とか、形状記憶シャツとかは、私が日本にいた頃もすでにありましたが・・・・・・・・
前回の記事のように“パノラマルーム”建築、始めました。
で、“エンボイ組”―――このブログをはじめからご覧の皆様はご存知、例の“オスロブの大棟梁?”です―――を呼んで、仕事をスタートさせましたが、どうもオカシイ。
(えっ?????????)
(なんだっ?????????)
・・・・・ウデが落ちている・・・か・・・・?
このブログを始めから見ている方は、ご存知の通り、ウチは近所の村人、田舎職人しか使わない。
どうせお金を払うなら、そのお金を地元オスロブに落したいと思っているからです。
しかし、田舎の職人達は、小さな平屋の物置のような家や小屋のような住居しか作ったことがないのです。
そこで5年前スタートして、始めの1年、ウチは職業訓練所』のような有様でした。
腕を磨き、日本人向きの『まともな家』を作れるようになるのに、1年半のT2の建築期間を要しました。
こうしてできたのが、エンボイを頭とするエンボイ組でした。
その手馴れたはずのエンボイ組を、それから3年後の今回、また呼んだわけです。
ところがどうやら、ウチで修行する前の状態に戻っている・・・・
考えてみれば、これは当然、想定の範囲のことなのでした。
フィリピン田舎生活16年の私ですが、しくじりました。
『フィリピン人の傾向』を忘れていました。
例を挙げれば、日本人オーナーの〔日本食レストランの法則〕です。
新規開店からしばらく、オーナー板さんは、連日、自ら厨房で腕を振るい、キッチンから陣頭指揮の傍ら、厳しく比国人コックを仕込み、目を皿のようにして店内接客を監視する。
そのうち、やがて徐々に比国人マネージャーやスタッフに任せるようになり、監視の目が遠のき、店に出なくなることもある。
するとどうなるか。
味はフィリピン流(何もかも甘く濃く、ザツ)米の炊き具合は毎回違い、衛生管理は地に落ちて、接客もフィリピン流に逆戻り。
砂糖入りみそ汁、芯のある米、茹ですぎのラーメン・・・・
店員が客席に座って談笑、客用トイレで集団サボり、テーブルには前の人の食べかすが・・・
美味かったのは最初だけで、味は日本人からすればですが、徐々に落ちてくる。
結果、日本人客は遠ざかり、潰れるか、値段を下げてフィリピン人客専門店となる。
つまり、この国の人は、ほおっておくと元の状態に戻ってしまう傾向が強いのです。
田舎のOFW(海外出稼ぎ)帰りなどにも、この現象が多分に見られます。
3年や5年の文明国暮らしでは、帰ればすぐもとの『フィリピン人』に戻ってしまうのです。
この“性状記憶”を解くには、10年以上が必要のようです。
まぁ、これはこの国の人に限ったことではないでしょうが、人のことは言えません。
私など16年フィリピンにいますが、日本人丸出し(←自分ではそう思っている)ですから。
しかし、エンボイ、お前もか!
これからまた、私とエンボイの『丁々発止』の数ヶ月の日々が始まります。
うけて立つぜッ!
前回の記事のように“パノラマルーム”建築、始めました。
で、“エンボイ組”―――このブログをはじめからご覧の皆様はご存知、例の“オスロブの大棟梁?”です―――を呼んで、仕事をスタートさせましたが、どうもオカシイ。
(えっ?????????)
(なんだっ?????????)
・・・・・ウデが落ちている・・・か・・・・?
このブログを始めから見ている方は、ご存知の通り、ウチは近所の村人、田舎職人しか使わない。
どうせお金を払うなら、そのお金を地元オスロブに落したいと思っているからです。
しかし、田舎の職人達は、小さな平屋の物置のような家や小屋のような住居しか作ったことがないのです。
そこで5年前スタートして、始めの1年、ウチは職業訓練所』のような有様でした。
腕を磨き、日本人向きの『まともな家』を作れるようになるのに、1年半のT2の建築期間を要しました。
こうしてできたのが、エンボイを頭とするエンボイ組でした。
その手馴れたはずのエンボイ組を、それから3年後の今回、また呼んだわけです。
ところがどうやら、ウチで修行する前の状態に戻っている・・・・
考えてみれば、これは当然、想定の範囲のことなのでした。
フィリピン田舎生活16年の私ですが、しくじりました。
『フィリピン人の傾向』を忘れていました。
例を挙げれば、日本人オーナーの〔日本食レストランの法則〕です。
新規開店からしばらく、オーナー板さんは、連日、自ら厨房で腕を振るい、キッチンから陣頭指揮の傍ら、厳しく比国人コックを仕込み、目を皿のようにして店内接客を監視する。
そのうち、やがて徐々に比国人マネージャーやスタッフに任せるようになり、監視の目が遠のき、店に出なくなることもある。
するとどうなるか。
味はフィリピン流(何もかも甘く濃く、ザツ)米の炊き具合は毎回違い、衛生管理は地に落ちて、接客もフィリピン流に逆戻り。
砂糖入りみそ汁、芯のある米、茹ですぎのラーメン・・・・
店員が客席に座って談笑、客用トイレで集団サボり、テーブルには前の人の食べかすが・・・
美味かったのは最初だけで、味は日本人からすればですが、徐々に落ちてくる。
結果、日本人客は遠ざかり、潰れるか、値段を下げてフィリピン人客専門店となる。
つまり、この国の人は、ほおっておくと元の状態に戻ってしまう傾向が強いのです。
田舎のOFW(海外出稼ぎ)帰りなどにも、この現象が多分に見られます。
3年や5年の文明国暮らしでは、帰ればすぐもとの『フィリピン人』に戻ってしまうのです。
この“性状記憶”を解くには、10年以上が必要のようです。
まぁ、これはこの国の人に限ったことではないでしょうが、人のことは言えません。
私など16年フィリピンにいますが、日本人丸出し(←自分ではそう思っている)ですから。
しかし、エンボイ、お前もか!
これからまた、私とエンボイの『丁々発止』の数ヶ月の日々が始まります。
うけて立つぜッ!
“パノラマ・ルーム、創ります”宣言 [パノラマルーム]
カンバンがあります
矢印がカンバンの位置
このクラブハウスの左側面です。
ここは、T2の一等地です。
ここにウチの4番目の客室を作ると決めて、我と我が身を鼓舞するため、看板を掲げました。
それから1年半経ちました。
カンバンも色あせてしまいました。
しかし、どうにか、何やかやのメドが立ちました。
すでに、敷地の整備を始めています。
年のせいで、もともと少ない睡眠時間を削って、プランを練り、図面を起こしています。
建築資材の見積もり&手配と購入、作業人員の確保、作業日程など工事計画を立てています。
T2は始めから手作りがポリシーですから、以上の作業は、竣工まで全部私と奥様Mがやります。
けっこうヤリガイがありますし、私はもともとが技術系で、フィリピンの建築基準や慣習(日本とは、かなり違います)も10年以上の経験があります。
何やかやの艱難辛苦は、私の望むところです。
涼しく静かな1階がベッドルーム。
11平米のバルコニーがあり、見晴らしが良く、明るく、快適な島風が吹く2階がリビングルームです。
1・2階で、計 約115平米の広さです。
“パノラマルーム”
見事に作ってみせます。