『経済活動』は霊峰を隠す [自然]
昨日の朝は雪が積もっていた為、走りませんでした。
さて、1月3日のジョグのことです。
橋の上から、富士山が見えました。
5合目あたりから頂上まで、雪化粧の霊峰がハッキリと見えました。
美しい山容が朝日を浴びて、白く光っていました。
思わず足を止めて、手を合わせ拝んでしまいました。
そこから富士山までは、(地図アプリで計測すると)131キロ離れています。
その橋からは、富士山の方角が開けているのに、普段は全く見えません。
お正月に見えた理由は分かっています。
富士が積雪で白かったからと、正月で空気が澄んでいたからです。
ウチと富士の間には、大都市:東京や無数の企業、工場があり、やたら車が走っています。
それらの『経済活動』が激減する正月は、空気が澄むのでしょう。
伝えられる『イザナギノミコトとアマテラスオオノカミ』の神話、
イザナギの野蛮な振る舞いに怒った太陽神:アマテラスが『天の岩戸』に隠れ、
世の中が暗くなったとかいうあの話。
何故か、連想してしまいました。
”霊峰富士” は、私には特別な山です。
若い頃、厳冬期の富士登山では何度か死が見えました・・・
いま実際生きているので、救われたのでしょうが・・・
「あと一歩進むと、命を失うかもしれない」、という ”恐怖心” の連続。
私のような未熟な単独登山者には、冬富士は容赦ないです。
毎年2.3度、数年通いました。
真冬の山頂近くは、『(ここは)人間の来る場所ではない、神の領域だ!』と教えてくれます。
『偉大な美しさと強烈な怖さ』の感動を味わいました。
測候所が見えて、3,776mまであと少しと言うところで、撤退したこともありました。
その時は下山中、冬富士ならではの色々あって、両足の指が凍傷になりました。
無理して登頂していたら、恥を忍んで測候所に駆け込まない限り、今の私はなかったでしょう。
ですから130キロ離れていようと、今でも冬富士を目にすると緊張して、背筋が自然に伸びます。
毎年、冬富士では何人か命を落としています。
その多くが、下山時の滑落死です。
『ブル(ドーザー)が空を飛ぶ』 と云われる風で吹き飛ばされる事故もあります。
頂上近くなると、『雪』というよりカチンコチンの『青氷』です。
滑ったり飛ばされたりすれば、アイゼンもピッケルあまり役に立ちません。
「あっ!」という間に、何百メートルも急斜面を落っこち・・・・・・・・・です。
すみません、余談(=年寄りのむかし話)でした。
さて、1月3日のジョグのことです。
橋の上から、富士山が見えました。
5合目あたりから頂上まで、雪化粧の霊峰がハッキリと見えました。
美しい山容が朝日を浴びて、白く光っていました。
思わず足を止めて、手を合わせ拝んでしまいました。
そこから富士山までは、(地図アプリで計測すると)131キロ離れています。
その橋からは、富士山の方角が開けているのに、普段は全く見えません。
お正月に見えた理由は分かっています。
富士が積雪で白かったからと、正月で空気が澄んでいたからです。
ウチと富士の間には、大都市:東京や無数の企業、工場があり、やたら車が走っています。
それらの『経済活動』が激減する正月は、空気が澄むのでしょう。
伝えられる『イザナギノミコトとアマテラスオオノカミ』の神話、
イザナギの野蛮な振る舞いに怒った太陽神:アマテラスが『天の岩戸』に隠れ、
世の中が暗くなったとかいうあの話。
何故か、連想してしまいました。
”霊峰富士” は、私には特別な山です。
若い頃、厳冬期の富士登山では何度か死が見えました・・・
いま実際生きているので、救われたのでしょうが・・・
「あと一歩進むと、命を失うかもしれない」、という ”恐怖心” の連続。
私のような未熟な単独登山者には、冬富士は容赦ないです。
毎年2.3度、数年通いました。
真冬の山頂近くは、『(ここは)人間の来る場所ではない、神の領域だ!』と教えてくれます。
『偉大な美しさと強烈な怖さ』の感動を味わいました。
測候所が見えて、3,776mまであと少しと言うところで、撤退したこともありました。
その時は下山中、冬富士ならではの色々あって、両足の指が凍傷になりました。
無理して登頂していたら、恥を忍んで測候所に駆け込まない限り、今の私はなかったでしょう。
ですから130キロ離れていようと、今でも冬富士を目にすると緊張して、背筋が自然に伸びます。
毎年、冬富士では何人か命を落としています。
その多くが、下山時の滑落死です。
『ブル(ドーザー)が空を飛ぶ』 と云われる風で吹き飛ばされる事故もあります。
頂上近くなると、『雪』というよりカチンコチンの『青氷』です。
滑ったり飛ばされたりすれば、アイゼンもピッケルあまり役に立ちません。
「あっ!」という間に、何百メートルも急斜面を落っこち・・・・・・・・・です。
すみません、余談(=年寄りのむかし話)でした。