『有休』ホントにいらないの? [日本人]
有休に消極的な日本人 「遊び」にはきっかけが必要なのか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190707-00028286-forbes-bus_all
(上のURLの本分は文末にコピーしました。)
勤勉な日本人、戦後の高度成長期からか、もっとず~っと前からか・・・・まぁ、日本人の"伝統的な"働き方じゃないでしょうか。
『社畜』なんてひどい言葉もありますが、”会社”という組織に心身を捧げるカルチャーが戦後の『高度成長』の原動力となったように、良い面もあったし、悪い面もあるのでしょう。
私事で恐縮ですが、19歳のとき北欧に流れ着き、死なない為ために必死で仕事を探しました。
ようやくありつけた仕事は・・・(とても運が良かったのでしょう)・・・現地でも屈指の大企業の関連でした。
仕事を始めて9か月、初めてのサマーが来ました。
職場の上司との個別ミーティングで曰く、「法律によって、貴方に4週間休んでもらわなければならない」
所謂、法律で保障されている”サマー・バケーション”ですが、私は唖然としました。
(そんな働き方があるのか?)
「貴方は評価も大変良いし、勤勉な日本人だから、休むのは嫌かもしれないが、貴方も休ませないと会社が罰せられる」
「他のスタッフと同様、その間の給与は出ます」
私は4週間のうち2週間かけて、その国をヒッチハイクで一周しました。
おかげ様で良い経験、大切な思い出ができました。
ひとつだけ困ったのは食費でした。
出勤すれば、食事無料でしかもハイクラスな食事をしていたのに、休暇中の食事は自腹です。
食生活のレベルが落ちました(笑)。
上は47年前、1972年の夏の事でした。
下の記事の件ですが、もし”有休消化の推進”が、国や企業の本音であるならば(どうなんだろう?)、社員が有休を全部消化しない企業や事業所を刑事処分すれば良いだけの話、簡単ではないでしょうか。
過労死などでは、既にそれに近い法律があるのですから、『有休消化』は会社側の義務と法律を整備すればよいのでは?
↓は冒頭のURLのコピーです。
働き方改革法案の成立により、労働基準法が改正され、2019年4月から、年10日以上有給休暇の権利がある従業員は、5日以上の有給休暇を取得することが義務付けられた。
過去を振り返れば、国民の祝日の一部を月曜日に移して三連休にするハッピーマンデー制度の導入(2000年)など、日本では国民の余暇時間を増やす施策がとられている。こうした取り組みの背景には、日本の有給休暇取得率の低さがある。強制的に長期休暇を作ることで、国民の生活を豊かに、さらには観光業など経済活性化につなげようという試みだ。
旅行サイトのエクスペディアが昨年末に発表した「世界19カ国 有給休暇・国際比較調査2018」によると、日本の有休取得率、有休取得日数ともに19か国で最下位。有休取得率は3年連続最下位となった。日本には、遊びより仕事が重んじられる風土があるのかもしれない。
一方で、「遊び」のプラットフォームを提供していると、遊びに対して積極的な人に多く出会う。彼らはどんな考えや価値観で、どんな行動をしているのだろうか──。そんな思いを持ちながら、先日、アソビューを定期的に利用している方々にをして、気づいた共通項がある。
それは、「今を大事にしたい」「人生一度しかない」「いつかという日はない」という価値観が強いということだ。「思いたったが吉日」とばかりに一人でも出かけるという人、「人生を謳歌しなければいけない」と強い義務感さえ感じる人もいた。
そんな価値観がどう形成されたのか、深堀っていくと、大きく分けて4つのターニングポイントがあった。いくつか具体的に紹介してみたい。
1. ライフステージが変化するとき 就職、退職、結婚、出産……。自分自身のライフステージはもちろん、子どもの成長に合わせるように「遊び」が変わるという人は多い。
40代の男性は、子どもが中学生になり、部活や友人が優先となり、家族で出かける機会が減ったことで遊び方が変わったという。一人で沖縄に行って船舶の免許を取得したり、スキューバダイビングのライセンスを取得したり、新しい趣味を見つけることで、新しいステージを開いている。
私の周りでも、妊娠した友人が、「子どもが生まれたらなかなか遊べなくなるから、妊婦でも楽しめるアクティビティを教えてほしい」と相談してくるなど、ライフステージが変化するタイミングで「遊び」が意識されている。
2. 生活環境が変わるとき 居住地の変化も、新しく「遊び」と出会うきっかけになっている。“転勤族”だという30代の女性は、沖縄転勤を機に、それまでほとんど関心がなかったマリンスポーツに出会ったという。 アクティビティ自体の楽しさもあるが、それ以上に、転勤が多く友達ができづらい中で、マリンスポーツを通じて仲間ができるところに魅力を感じているという。
3. 「死」を身近に感じた時 家族や友人、会社の同僚など、身近な人が亡くなったとき、人は、人生にはいつか終わりがくることに気づく。期限が明示されると重い腰が上がるのは、仕事だけではないのだ。
20代女性は、元上司が亡くなったことをきっかけに、向こう5年で行きたい旅行先リストを作成した。定期的に仕事前にカフェに行き、「次はどこに行こう、週末何しよう」と考えているという。
3. 「死」を身近に感じた時 家族や友人、会社の同僚など、身近な人が亡くなったとき、人は、人生にはいつか終わりがくることに気づく。期限が明示されると重い腰が上がるのは、仕事だけではないのだ。
20代女性は、元上司が亡くなったことをきっかけに、向こう5年で行きたい旅行先リストを作成した。定期的に仕事前にカフェに行き、「次はどこに行こう、週末何しよう」と考えているという。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190707-00028286-forbes-bus_all
(上のURLの本分は文末にコピーしました。)
勤勉な日本人、戦後の高度成長期からか、もっとず~っと前からか・・・・まぁ、日本人の"伝統的な"働き方じゃないでしょうか。
『社畜』なんてひどい言葉もありますが、”会社”という組織に心身を捧げるカルチャーが戦後の『高度成長』の原動力となったように、良い面もあったし、悪い面もあるのでしょう。
私事で恐縮ですが、19歳のとき北欧に流れ着き、死なない為ために必死で仕事を探しました。
ようやくありつけた仕事は・・・(とても運が良かったのでしょう)・・・現地でも屈指の大企業の関連でした。
仕事を始めて9か月、初めてのサマーが来ました。
職場の上司との個別ミーティングで曰く、「法律によって、貴方に4週間休んでもらわなければならない」
所謂、法律で保障されている”サマー・バケーション”ですが、私は唖然としました。
(そんな働き方があるのか?)
「貴方は評価も大変良いし、勤勉な日本人だから、休むのは嫌かもしれないが、貴方も休ませないと会社が罰せられる」
「他のスタッフと同様、その間の給与は出ます」
私は4週間のうち2週間かけて、その国をヒッチハイクで一周しました。
おかげ様で良い経験、大切な思い出ができました。
ひとつだけ困ったのは食費でした。
出勤すれば、食事無料でしかもハイクラスな食事をしていたのに、休暇中の食事は自腹です。
食生活のレベルが落ちました(笑)。
上は47年前、1972年の夏の事でした。
下の記事の件ですが、もし”有休消化の推進”が、国や企業の本音であるならば(どうなんだろう?)、社員が有休を全部消化しない企業や事業所を刑事処分すれば良いだけの話、簡単ではないでしょうか。
過労死などでは、既にそれに近い法律があるのですから、『有休消化』は会社側の義務と法律を整備すればよいのでは?
↓は冒頭のURLのコピーです。
働き方改革法案の成立により、労働基準法が改正され、2019年4月から、年10日以上有給休暇の権利がある従業員は、5日以上の有給休暇を取得することが義務付けられた。
過去を振り返れば、国民の祝日の一部を月曜日に移して三連休にするハッピーマンデー制度の導入(2000年)など、日本では国民の余暇時間を増やす施策がとられている。こうした取り組みの背景には、日本の有給休暇取得率の低さがある。強制的に長期休暇を作ることで、国民の生活を豊かに、さらには観光業など経済活性化につなげようという試みだ。
旅行サイトのエクスペディアが昨年末に発表した「世界19カ国 有給休暇・国際比較調査2018」によると、日本の有休取得率、有休取得日数ともに19か国で最下位。有休取得率は3年連続最下位となった。日本には、遊びより仕事が重んじられる風土があるのかもしれない。
一方で、「遊び」のプラットフォームを提供していると、遊びに対して積極的な人に多く出会う。彼らはどんな考えや価値観で、どんな行動をしているのだろうか──。そんな思いを持ちながら、先日、アソビューを定期的に利用している方々にをして、気づいた共通項がある。
それは、「今を大事にしたい」「人生一度しかない」「いつかという日はない」という価値観が強いということだ。「思いたったが吉日」とばかりに一人でも出かけるという人、「人生を謳歌しなければいけない」と強い義務感さえ感じる人もいた。
そんな価値観がどう形成されたのか、深堀っていくと、大きく分けて4つのターニングポイントがあった。いくつか具体的に紹介してみたい。
1. ライフステージが変化するとき 就職、退職、結婚、出産……。自分自身のライフステージはもちろん、子どもの成長に合わせるように「遊び」が変わるという人は多い。
40代の男性は、子どもが中学生になり、部活や友人が優先となり、家族で出かける機会が減ったことで遊び方が変わったという。一人で沖縄に行って船舶の免許を取得したり、スキューバダイビングのライセンスを取得したり、新しい趣味を見つけることで、新しいステージを開いている。
私の周りでも、妊娠した友人が、「子どもが生まれたらなかなか遊べなくなるから、妊婦でも楽しめるアクティビティを教えてほしい」と相談してくるなど、ライフステージが変化するタイミングで「遊び」が意識されている。
2. 生活環境が変わるとき 居住地の変化も、新しく「遊び」と出会うきっかけになっている。“転勤族”だという30代の女性は、沖縄転勤を機に、それまでほとんど関心がなかったマリンスポーツに出会ったという。 アクティビティ自体の楽しさもあるが、それ以上に、転勤が多く友達ができづらい中で、マリンスポーツを通じて仲間ができるところに魅力を感じているという。
3. 「死」を身近に感じた時 家族や友人、会社の同僚など、身近な人が亡くなったとき、人は、人生にはいつか終わりがくることに気づく。期限が明示されると重い腰が上がるのは、仕事だけではないのだ。
20代女性は、元上司が亡くなったことをきっかけに、向こう5年で行きたい旅行先リストを作成した。定期的に仕事前にカフェに行き、「次はどこに行こう、週末何しよう」と考えているという。
3. 「死」を身近に感じた時 家族や友人、会社の同僚など、身近な人が亡くなったとき、人は、人生にはいつか終わりがくることに気づく。期限が明示されると重い腰が上がるのは、仕事だけではないのだ。
20代女性は、元上司が亡くなったことをきっかけに、向こう5年で行きたい旅行先リストを作成した。定期的に仕事前にカフェに行き、「次はどこに行こう、週末何しよう」と考えているという。
「おとうさん」「おかあさん」と呼んで [日本人]
日本の子供達から、『おとうさん』『おかあさん』という言葉をあまり聞かなくなって、久しい。
家の中のみならず、外でも、相手が他人様でも、『パパが』『ママが』と云う子供たちの何と多い事か(←チコちゃん風)。
私事ですが、ごく小さい頃は、自然に、父母を「おとうちゃん」「「おかあちゃん」と呼んでいました。
生まれ育ちは東京で、『三丁目の夕日』のような世界でした。
やや大きくなると、「おとうさん」「おかあさん」ですね。
当時としてはごく一般的です。
長じて、「うちの父が」とか「うちの母が」とか、人には話していたと思います。
仲間内であれば、「おやじ」「おふくろ」でしたね。
ハッキリ云って、「パパ」・「ママ」はみっともない(と私は思う)。
親を名前で呼ぶ子供もいると聞きますが、もうこうなると言語道断(と私は思う)。
日本語の、「おとうさん」「おかあさん」は、響きの良い美しい言葉です。
私は、自分の子供には『おとうさん』と呼んで欲しい。
妙齢の艶っぽい若い女性なら、『パパ~ぁ』と呼ばれるのも悪くない。
令和のカエル [日本人]
昨日、中4日ぶりでジョグしました。
田圃には水が張られ、七割ほどは田植えも済んでいました。
晴れて気分良く、汗も・・・。
こういう日和は、私のヨタヨタのんびりジョグが似合います。
桜も梨の花もおわり、色とりどりのツツジが艶やかです。
あっちの田んぼでは、農家の人たちが、休みがてら作業の打ち合わせ中??
手前の田んぼでは、カエルの大合唱。
そこで一句・・・
ひと休み れいわれいわと かわず鳴く
『ケロケロッ』や『ゲロゲロッ』が、『レイワ・レイワ』と聞こえる筈はないのですが、物は考えよう、耳は聞きようです。
思えば小林一茶の名句、“やせ蛙 負けるな一茶 これにあり” にしても、云ってみれば作者の思い入れもある・・・(名人にたいし畏れ多いですが)。
元号が変わり、まるで”新年”の今、私には『レイワ、レイワ』と聞こえたのでしょう。
田圃には水が張られ、七割ほどは田植えも済んでいました。
晴れて気分良く、汗も・・・。
こういう日和は、私のヨタヨタのんびりジョグが似合います。
桜も梨の花もおわり、色とりどりのツツジが艶やかです。
あっちの田んぼでは、農家の人たちが、休みがてら作業の打ち合わせ中??
手前の田んぼでは、カエルの大合唱。
そこで一句・・・
ひと休み れいわれいわと かわず鳴く
『ケロケロッ』や『ゲロゲロッ』が、『レイワ・レイワ』と聞こえる筈はないのですが、物は考えよう、耳は聞きようです。
思えば小林一茶の名句、“やせ蛙 負けるな一茶 これにあり” にしても、云ってみれば作者の思い入れもある・・・(名人にたいし畏れ多いですが)。
元号が変わり、まるで”新年”の今、私には『レイワ、レイワ』と聞こえたのでしょう。
青信号でひかれる子ら [日本人]
気のせいか、横断歩道の青信号で、車にひかれるという事件が増えている・・・ような気がします。
信号が青でも、右・左折車(特に左折車)は横断歩道を通行します。
そして信号を見ていない、或いは無視するドライバーも稀にいます。
子供や最近の人は、信号が青なら横断歩道は安全に渡れると思っているのでしょうか?
そして信号のない横断歩道は、手を上げれば車は止まってくれると、思い込んでいないでしょうか。
日本人のリスク・マネジメント(危機管理?)の弱体化が、こんなとこにも顕れているような・・・・・。
私を含め、今の60代以上の者は、子供のころから自分の身は自分で守る習慣があったように思います。
赤信号でも、横断歩道でない場所でも、車が来ないと判断すれば渡った。
その代わり、横断歩道だろうが、青信号だろうが用心した。
今のように口うるさく遊びを規制されなかったので、歩きでも自転車でも、友達同士でもひとりでも、どこでも行けた。
海・山・川・・・雑木林、知らない町。
悪く言えば、ほって置かれた。
今思えば、それが良かったように思います。
2019年 お正月 [日本人]
皆様、明けましておめでとうございます。
今年の私の暮れと正月は、元旦に本家の集いに参加した以外は、家呑みと内職に明け暮れました。
つまりは、ほとんど引き籠っていました。
そんなザマでも、新年を迎えられたという事で、何となく「シアワセ」な気分になれるのは、正月の魔力ですね。
世界の平和と、皆様のご健勝をお祈りいたします。
今年も宜しくお願いいたします。
YASHINOKI
今年の私の暮れと正月は、元旦に本家の集いに参加した以外は、家呑みと内職に明け暮れました。
つまりは、ほとんど引き籠っていました。
そんなザマでも、新年を迎えられたという事で、何となく「シアワセ」な気分になれるのは、正月の魔力ですね。
世界の平和と、皆様のご健勝をお祈りいたします。
今年も宜しくお願いいたします。
YASHINOKI
少子化から生まれた少子 [日本人]
要は現在の親の世代で既に少子化だった?
私見ですが、今の日本の問題点の多くは少子化(と、それによる超高齢化社会)が関わっているように思います。
この先、日本の人口が増えるとすれば、それは欧米同様に、増え続ける外国人労働者と彼らの多産による子孫たち?
我が国では、あと20年もすれば、私を含む“団塊世代”がこの世を去ります。
その時点で老人の割合は減り、人口ピラミッドは自然な形になるでしょうが、それまでに海外労働者とその家族がどれほど増えて、日本社会がどのような形にどれだけ変わるのでしょうか。
私のような凡人には想像できませんが、まぁその時は、草葉の陰から覗き見できるかも知れません。
期待し、楽しみ?怖いもの見たさ?にします。
出生数、3年連続100万人割れ 人口減は年45万人
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181221-00000568-san-soci
(以下本分です)
厚生労働省は21日、平成30年の人口動態統計の年間推計を発表した。出生数は明治32(1899)年の統計開始以来、最少だった前年の94万6065人(確定数)を下回り、92万1千人で過去最少を更新した。出生数が100万人を割るのは3年連続で、少子化に拍車がかかっている。
死亡者数は前年の134万397人を上回り、136万9千人で、戦後最大だった。死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は44万8千人で、平成19年から12年連続の人口減。昨年の自然減は39万4332人で、40万人を超えるのは初めてとなり、人口減少も浮き彫りになっている。
女性が生涯に産む子供の推定人数を示す合計特殊出生率は29年が1・43で、17年の1・26を境に緩やかな上昇傾向にあり、近年は横ばい。
婚姻件数は59万組で、前年の60万6866組を下回り、戦後最少を記録。離婚件数は前年の21万2262組を下回る20万7千件と推計した。
厚労省の担当者は、出生数減少について「出産適齢期(25~39歳)の人が毎年25万人ぐらい減っていて、その影響が大きい」と分析している。
私見ですが、今の日本の問題点の多くは少子化(と、それによる超高齢化社会)が関わっているように思います。
この先、日本の人口が増えるとすれば、それは欧米同様に、増え続ける外国人労働者と彼らの多産による子孫たち?
我が国では、あと20年もすれば、私を含む“団塊世代”がこの世を去ります。
その時点で老人の割合は減り、人口ピラミッドは自然な形になるでしょうが、それまでに海外労働者とその家族がどれほど増えて、日本社会がどのような形にどれだけ変わるのでしょうか。
私のような凡人には想像できませんが、まぁその時は、草葉の陰から覗き見できるかも知れません。
期待し、楽しみ?怖いもの見たさ?にします。
出生数、3年連続100万人割れ 人口減は年45万人
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181221-00000568-san-soci
(以下本分です)
厚生労働省は21日、平成30年の人口動態統計の年間推計を発表した。出生数は明治32(1899)年の統計開始以来、最少だった前年の94万6065人(確定数)を下回り、92万1千人で過去最少を更新した。出生数が100万人を割るのは3年連続で、少子化に拍車がかかっている。
死亡者数は前年の134万397人を上回り、136万9千人で、戦後最大だった。死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は44万8千人で、平成19年から12年連続の人口減。昨年の自然減は39万4332人で、40万人を超えるのは初めてとなり、人口減少も浮き彫りになっている。
女性が生涯に産む子供の推定人数を示す合計特殊出生率は29年が1・43で、17年の1・26を境に緩やかな上昇傾向にあり、近年は横ばい。
婚姻件数は59万組で、前年の60万6866組を下回り、戦後最少を記録。離婚件数は前年の21万2262組を下回る20万7千件と推計した。
厚労省の担当者は、出生数減少について「出産適齢期(25~39歳)の人が毎年25万人ぐらい減っていて、その影響が大きい」と分析している。
資産1億円以上は126万世帯超え [日本人]
資産1億円以上は126万世帯超え
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181218-00000039-zdn_mkt-bus_all
1億円以上の金融資産を保有するお金持ちはどれだけいる? 野村総合研究所(NRI)は12月18日、日本の富裕層に関する調査結果を発表した。 これによると、2017年に1億円以上5億円未満の純金融資産を持つ「富裕層」は118万3000世帯、5億円以上を保有する「超富裕層」は8万4000世帯に上ることが分かった・・・・・・
我ら貧乏人には、よその国のことのような話です。
まるで別世界。
しかし、国力向上にためには良い事だと思います。
金は天下の回り物と言うし、上が上がらないと、下が上がる見込みは限りなく少ないでしょうし。
世界第2の経済大国だった頃よ、再び。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181218-00000039-zdn_mkt-bus_all
1億円以上の金融資産を保有するお金持ちはどれだけいる? 野村総合研究所(NRI)は12月18日、日本の富裕層に関する調査結果を発表した。 これによると、2017年に1億円以上5億円未満の純金融資産を持つ「富裕層」は118万3000世帯、5億円以上を保有する「超富裕層」は8万4000世帯に上ることが分かった・・・・・・
我ら貧乏人には、よその国のことのような話です。
まるで別世界。
しかし、国力向上にためには良い事だと思います。
金は天下の回り物と言うし、上が上がらないと、下が上がる見込みは限りなく少ないでしょうし。
世界第2の経済大国だった頃よ、再び。
『目からウロコ』(月光仮面等) [日本人]
先週BSTVの武田鉄矢の番組で、”月光仮面”の特番をやっていました。
私の世代にとって、テレビの創成期の少年向けTVドラマ、ヒーローものはムチャクチャ懐かしく甘酸っぱい思い出です。
楽しく拝見いたしました。
ふとある事に思い当たり、『目からウロコ』の思いがいたしました。
半世紀ぶりに明らか?になった事実?、でした。
何を隠そう、私はモーターサイクルが大好きでした。
16歳の誕生日に単車の免許を取りに行き、以後43歳までオートバイを友として乗り回してきました。
その私の”単車好き”のルーツは、”月光仮面”であり、”少年ジェット”であり、”まぼろし探偵”・・・だったのではないかと思い当たりました。
当時オートバイは、豊かになったその後の時代の少年たちの『スーパーカー』に相当する、カッコ良さの代表だったような気がします。
それを自在に乗り回せる"少年ヒーロー"たち・・・・
オートバイどころか、車さえ今の若者には人気が無い。
3DSだのテレビゲームだのが、どこが面白いのか私には全く分からない。
良い時代に生まれて、私は幸せだったのかも。
俯瞰すれば、もう”絶滅危惧種”です。
私の世代にとって、テレビの創成期の少年向けTVドラマ、ヒーローものはムチャクチャ懐かしく甘酸っぱい思い出です。
楽しく拝見いたしました。
ふとある事に思い当たり、『目からウロコ』の思いがいたしました。
半世紀ぶりに明らか?になった事実?、でした。
何を隠そう、私はモーターサイクルが大好きでした。
16歳の誕生日に単車の免許を取りに行き、以後43歳までオートバイを友として乗り回してきました。
その私の”単車好き”のルーツは、”月光仮面”であり、”少年ジェット”であり、”まぼろし探偵”・・・だったのではないかと思い当たりました。
当時オートバイは、豊かになったその後の時代の少年たちの『スーパーカー』に相当する、カッコ良さの代表だったような気がします。
それを自在に乗り回せる"少年ヒーロー"たち・・・・
オートバイどころか、車さえ今の若者には人気が無い。
3DSだのテレビゲームだのが、どこが面白いのか私には全く分からない。
良い時代に生まれて、私は幸せだったのかも。
俯瞰すれば、もう”絶滅危惧種”です。
ボランティアは一日にして成らず [日本人]
興味を持つ人が多い為でしょうか、『スーパーボランティア』尾畠春夫さんの報道や、コラムが目につきます。
何百人もの警察菅が丸2日探して見つからなかった行方不明児を、たった1時間で見つけた神業。
まさに”スーパー“ですが、これらの記事を読むと納得いたします。
”スーパーボランティアは一日にして成らず”、という事でした。
余人には、我々団塊世代以降の、裕福な時代に育った甘ったれどもにはマネできない。
尾畠さんのような市井のヒーロー、できれば宮内庁とか、表彰してもらいたい気がします。
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」・・・・好い言葉ですね。
尾畠さんのような人物が沢山いたら、日本はもっと良い国に変われるのかなんて、フト思ってしまいました。
スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180824-00057170-gendaibiz-bus_all&p=1
酒も飲まず、貯金もゼロ…スーパーボランティア尾畠春夫さんの生き様
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57178
(上記URLの本文ですが、内容が濃く長いので転載できません。すみません、閲覧する方はお早めにどうぞ)
何百人もの警察菅が丸2日探して見つからなかった行方不明児を、たった1時間で見つけた神業。
まさに”スーパー“ですが、これらの記事を読むと納得いたします。
”スーパーボランティアは一日にして成らず”、という事でした。
余人には、我々団塊世代以降の、裕福な時代に育った甘ったれどもにはマネできない。
尾畠さんのような市井のヒーロー、できれば宮内庁とか、表彰してもらいたい気がします。
「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」・・・・好い言葉ですね。
尾畠さんのような人物が沢山いたら、日本はもっと良い国に変われるのかなんて、フト思ってしまいました。
スーパーボランティア・尾畠春夫さんが語った「壮絶なる我が人生」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180824-00057170-gendaibiz-bus_all&p=1
酒も飲まず、貯金もゼロ…スーパーボランティア尾畠春夫さんの生き様
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57178
(上記URLの本文ですが、内容が濃く長いので転載できません。すみません、閲覧する方はお早めにどうぞ)
読めない人 [日本人]
下のURL、(やっぱり、私だけではなかったのかと)気になったコラムです。
身の回りに思い当たること(人)が、結構あります。
また私としては、"文章を書けない人"なんてのもアリのような気がします。
諸兄方々、あなた様の身辺は如何でしょうか?
情緒的な日本語の持つ曖昧さは、文章にしろ言葉にしろ、極端に云えば「どうとでも取れる」。
本文中にもありますが、『英語などに較べれば』ということです。
明確で論理的な表現が必須である論文や法律分などには、あまり向かないように思います。
世の中グローバル傾向が進み、言語の互換性が重要なのですが、日本語はちょっと独特なために、ビジネス的には意思の疎通に難があり、共通・同一の認識に至るのは簡単ではありません。
まぁ、いずれ日本人の意識の変換と共に、日本語も変わっていくでしょう。
時が解決するのではないでしょうか。
その記事です。
日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53224?page=2
(以下、コピー致しました)
「文字は分かるが文章を理解できない人が増えているのではないか?」というテーマがネットで話題になっている。明確な統計がないので推測にならざるを得ないのだが、これは古くて新しい問題と考えられる。昔から読解力に欠ける人が一定数存在していたものの、ネット社会の到来で一気に可視化された可能性が高い。
こうしたことが話題になると、すぐに学力云々という議論になりがちなのだが、読解力の問題は単純に学力向上だけで解決できるとは限らない。いわゆる偏差値が高い大学の出身者の中にも、文章を理解する力が不足している人が多数、存在している可能性があるからだ。
業務上のメールも実はきちんと読めていない?
先日、ネット上のまとめサイトに文章の読解力に関する記事が投稿された。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」というツイッターのつぶやきに対して「何故今週だけはOKなんだ?」「サンダル無い人は来るなって?」「暑いならともかく基本はNGだろ」といった反応が一定数返ってくるという内容だ。
こうした反応を返してくる人は、「サンダル出勤がOK」というキーワードだけが目に入っていた可能性が高く、前後の文脈は考慮していなかったと考えられる。
昔からそうだが、ニュースサイトのコメント欄を見ても、明らかに文章を読んでいない人のコメントや、1つのキーワードだけに反応し、文脈をまったく無視したコメントが無数にアップされている。文章を読んでいない、あるいは読めていない人が一定数存在しているのは間違いない。
ジャーナリストの佐々木俊尚氏は、ツイッターでの“クソリプ”(どうしようもない返信を意味するネット上のスラング)の原因は大半が読解力の不足によるものではないかと指摘している。
もっともツイッターは、瞬間的に反応して返信するという役割を持ったツールでもあり、勘違いによる返信が一定数存在することはやむを得ないことかもしれない。しかしながら、文章が読めていないという指摘はこれ以外にも存在している。
投資銀行家で「ぐっちーさん」の愛称でも知られる山口正洋氏は、ビジネス上のメールの内容をきちんと読めていない人が多いと自身のコラムで指摘している。内容があいまいなまま物事が進むので、実際に会って内容を再確認しなければならず、これが日本の生産性を引き下げているという。
この話は、筆者にも思い当たるフシがある。筆者は10年以上、コンサルティング会社を経営してきた経験を持っているが、確かに一部のビジネスパーソンは、業務上のやり取りについて内容を十分に把握できていなかった。こうした状態を放置すると経営に支障を来すため、筆者は、可能な限り箇条書きにする、要件ごとにメールを分ける、確認のメールを送るといった対策を施していた。 ちなみに、メールをやり取りしている相手というのは、いわゆる高学歴な人物ばかりであり、基礎学力という点ではトップクラスに属している。少なくとも、現時点において学力が高いからといって、読解力も相応に身につけているとは限らないということになる。 たかがメールのやり取りではあるが、山口氏が指摘しているように、これが社会全体の生産性を引き下げているのだとすると由々しき問題である。
日本でテレワークが進まない理由
文章の読解力がどのように確立するのかというのは、実は非常に奥が深いテーマで、簡単に答えが出せるものではない。単純に文章を読むテクニックに依存する部分もあるだろうし、論理性の有無といった思考回路の問題も関係してくるはずだ。 これに加えてメンタルな影響も無視できない。感情が先に立ってしまうと、自分の感情やイメージに沿ったキーワードだけを無意識的に抽出し、まったく異なる結論を導き出してしまうことがよくあるからだ。
言語によって、脳内における情報処理のアルゴリズムが異なるという研究事例もあり、そうなってくると、他の言語圏との比較も必要になってしまう(ちなみに山口氏は米国人とのやり取りではそうした行き違いは生じにくいとも主張している)。 ここまでくるとテーマが壮大になりすぎてしまうのだが、実務的には2つのアプローチがあると筆者は考えている。 1つは可能な限り、口頭ではなく文書でのコミュニケーションを実施するよう心がけ、このやり方に社会全体として慣れていくというもの。もう1つは、表現や表記の方法を体系化し、可能な限り分かりやすくするというものである。
日本では以前からテレワークなど遠隔で勤務できる環境整備が必要と指摘されてきたが、一向に導入は進んでいない。その理由は技術的なものではなく、メンタルなものである可能性が高い。 日本の職場では、業務の指示や責任の範囲が不明瞭なことが多く、チーム全員が顔を合わせて、状況を逐一確認していかないと仕事が進まない。確かに、表情やしぐさなど、ビジュアルな情報があれば、言語が不明瞭でも意思の疎通は可能だろう。しかし、こうしたスタイルにばかり慣れてしまうと、文書を読み書きする能力が高まらないのは当然である。
働き方改革が社会全体の課題になっていることも考え合わせると、業務の指示や責任の範囲を文書で明文化する努力が必要なのは明らかであり、これを実践すれば、文章の読解力は確実に向上する。
情報の整理、表現の工夫でも改善は可能
こうした試みとは表裏一体の関係だが、多くの人に明瞭に意図を伝えるためのテクニックも必要だろう。筆者は職業柄、日米の経済統計をWebサイトで閲覧することが多いのだが、両国のWebサイトには驚くべき差がある。 米国のサイトの方が英語という外国語であるにもかかわらず、内容が直感的に理解できるのだ(参考までに、筆者は外国に住んだ経験はなく、ごく一般的な英語力しかないので、英語の基礎力が高いことで内容が容易に理解できているわけではない)。 日本のサイトは、統計データと関連するおびただしい注記事項が羅列してあるだけというケースが多く、情報が整理されていない。様々な立場の人が読むことをまったく想定していないのだ(あるいは想定していても、体系立てて表記できないのかもしれない)。
困ったことに、こうした分かりにくい情報に対して改善の要求が出されるのではなく、詳細を知っている人が、分かりにくさを利用して、分からない人に対して優越的な立場に立つという、本末転倒な現象も散見される。あなたの職場にも、分かりにくい情報しか提示できないにもかかわらず、「こんなことも知らないのか」と悦に入る同僚がいないだろうか。 多くの人にとって分かりにくい情報しか出せない人は、マイナス評価になるという土壌が出来上がれば、読解力不足の問題もある程度、緩和できるだろう。 分かりやすい表現を重視すると、薄っぺらい議論になってしまうとの批判もあるが、筆者はそうは思わない。
難しい話を難しく説明することなど、専門家であれば誰でもできる。現代社会はオープン化が進んでおり、異なる分野の知見をうまくミックスしていかなければ新しいビジネス領域を開拓することはできない。専門的な内容を専門外の人に適切に説明する能力に欠ける人は、むしろ専門家としての能力が不足していると評価するぐらいの意識改革が必要である。 こうした実務的な改善を積み重ねて行けば、教育プログラムによって読解力を向上させるといった大きな枠組みを構築しなくても、たいていの問題は解決するはずだ。
身の回りに思い当たること(人)が、結構あります。
また私としては、"文章を書けない人"なんてのもアリのような気がします。
諸兄方々、あなた様の身辺は如何でしょうか?
情緒的な日本語の持つ曖昧さは、文章にしろ言葉にしろ、極端に云えば「どうとでも取れる」。
本文中にもありますが、『英語などに較べれば』ということです。
明確で論理的な表現が必須である論文や法律分などには、あまり向かないように思います。
世の中グローバル傾向が進み、言語の互換性が重要なのですが、日本語はちょっと独特なために、ビジネス的には意思の疎通に難があり、共通・同一の認識に至るのは簡単ではありません。
まぁ、いずれ日本人の意識の変換と共に、日本語も変わっていくでしょう。
時が解決するのではないでしょうか。
その記事です。
日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53224?page=2
(以下、コピー致しました)
「文字は分かるが文章を理解できない人が増えているのではないか?」というテーマがネットで話題になっている。明確な統計がないので推測にならざるを得ないのだが、これは古くて新しい問題と考えられる。昔から読解力に欠ける人が一定数存在していたものの、ネット社会の到来で一気に可視化された可能性が高い。
こうしたことが話題になると、すぐに学力云々という議論になりがちなのだが、読解力の問題は単純に学力向上だけで解決できるとは限らない。いわゆる偏差値が高い大学の出身者の中にも、文章を理解する力が不足している人が多数、存在している可能性があるからだ。
業務上のメールも実はきちんと読めていない?
先日、ネット上のまとめサイトに文章の読解力に関する記事が投稿された。「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」というツイッターのつぶやきに対して「何故今週だけはOKなんだ?」「サンダル無い人は来るなって?」「暑いならともかく基本はNGだろ」といった反応が一定数返ってくるという内容だ。
こうした反応を返してくる人は、「サンダル出勤がOK」というキーワードだけが目に入っていた可能性が高く、前後の文脈は考慮していなかったと考えられる。
昔からそうだが、ニュースサイトのコメント欄を見ても、明らかに文章を読んでいない人のコメントや、1つのキーワードだけに反応し、文脈をまったく無視したコメントが無数にアップされている。文章を読んでいない、あるいは読めていない人が一定数存在しているのは間違いない。
ジャーナリストの佐々木俊尚氏は、ツイッターでの“クソリプ”(どうしようもない返信を意味するネット上のスラング)の原因は大半が読解力の不足によるものではないかと指摘している。
もっともツイッターは、瞬間的に反応して返信するという役割を持ったツールでもあり、勘違いによる返信が一定数存在することはやむを得ないことかもしれない。しかしながら、文章が読めていないという指摘はこれ以外にも存在している。
投資銀行家で「ぐっちーさん」の愛称でも知られる山口正洋氏は、ビジネス上のメールの内容をきちんと読めていない人が多いと自身のコラムで指摘している。内容があいまいなまま物事が進むので、実際に会って内容を再確認しなければならず、これが日本の生産性を引き下げているという。
この話は、筆者にも思い当たるフシがある。筆者は10年以上、コンサルティング会社を経営してきた経験を持っているが、確かに一部のビジネスパーソンは、業務上のやり取りについて内容を十分に把握できていなかった。こうした状態を放置すると経営に支障を来すため、筆者は、可能な限り箇条書きにする、要件ごとにメールを分ける、確認のメールを送るといった対策を施していた。 ちなみに、メールをやり取りしている相手というのは、いわゆる高学歴な人物ばかりであり、基礎学力という点ではトップクラスに属している。少なくとも、現時点において学力が高いからといって、読解力も相応に身につけているとは限らないということになる。 たかがメールのやり取りではあるが、山口氏が指摘しているように、これが社会全体の生産性を引き下げているのだとすると由々しき問題である。
日本でテレワークが進まない理由
文章の読解力がどのように確立するのかというのは、実は非常に奥が深いテーマで、簡単に答えが出せるものではない。単純に文章を読むテクニックに依存する部分もあるだろうし、論理性の有無といった思考回路の問題も関係してくるはずだ。 これに加えてメンタルな影響も無視できない。感情が先に立ってしまうと、自分の感情やイメージに沿ったキーワードだけを無意識的に抽出し、まったく異なる結論を導き出してしまうことがよくあるからだ。
言語によって、脳内における情報処理のアルゴリズムが異なるという研究事例もあり、そうなってくると、他の言語圏との比較も必要になってしまう(ちなみに山口氏は米国人とのやり取りではそうした行き違いは生じにくいとも主張している)。 ここまでくるとテーマが壮大になりすぎてしまうのだが、実務的には2つのアプローチがあると筆者は考えている。 1つは可能な限り、口頭ではなく文書でのコミュニケーションを実施するよう心がけ、このやり方に社会全体として慣れていくというもの。もう1つは、表現や表記の方法を体系化し、可能な限り分かりやすくするというものである。
日本では以前からテレワークなど遠隔で勤務できる環境整備が必要と指摘されてきたが、一向に導入は進んでいない。その理由は技術的なものではなく、メンタルなものである可能性が高い。 日本の職場では、業務の指示や責任の範囲が不明瞭なことが多く、チーム全員が顔を合わせて、状況を逐一確認していかないと仕事が進まない。確かに、表情やしぐさなど、ビジュアルな情報があれば、言語が不明瞭でも意思の疎通は可能だろう。しかし、こうしたスタイルにばかり慣れてしまうと、文書を読み書きする能力が高まらないのは当然である。
働き方改革が社会全体の課題になっていることも考え合わせると、業務の指示や責任の範囲を文書で明文化する努力が必要なのは明らかであり、これを実践すれば、文章の読解力は確実に向上する。
情報の整理、表現の工夫でも改善は可能
こうした試みとは表裏一体の関係だが、多くの人に明瞭に意図を伝えるためのテクニックも必要だろう。筆者は職業柄、日米の経済統計をWebサイトで閲覧することが多いのだが、両国のWebサイトには驚くべき差がある。 米国のサイトの方が英語という外国語であるにもかかわらず、内容が直感的に理解できるのだ(参考までに、筆者は外国に住んだ経験はなく、ごく一般的な英語力しかないので、英語の基礎力が高いことで内容が容易に理解できているわけではない)。 日本のサイトは、統計データと関連するおびただしい注記事項が羅列してあるだけというケースが多く、情報が整理されていない。様々な立場の人が読むことをまったく想定していないのだ(あるいは想定していても、体系立てて表記できないのかもしれない)。
困ったことに、こうした分かりにくい情報に対して改善の要求が出されるのではなく、詳細を知っている人が、分かりにくさを利用して、分からない人に対して優越的な立場に立つという、本末転倒な現象も散見される。あなたの職場にも、分かりにくい情報しか提示できないにもかかわらず、「こんなことも知らないのか」と悦に入る同僚がいないだろうか。 多くの人にとって分かりにくい情報しか出せない人は、マイナス評価になるという土壌が出来上がれば、読解力不足の問題もある程度、緩和できるだろう。 分かりやすい表現を重視すると、薄っぺらい議論になってしまうとの批判もあるが、筆者はそうは思わない。
難しい話を難しく説明することなど、専門家であれば誰でもできる。現代社会はオープン化が進んでおり、異なる分野の知見をうまくミックスしていかなければ新しいビジネス領域を開拓することはできない。専門的な内容を専門外の人に適切に説明する能力に欠ける人は、むしろ専門家としての能力が不足していると評価するぐらいの意識改革が必要である。 こうした実務的な改善を積み重ねて行けば、教育プログラムによって読解力を向上させるといった大きな枠組みを構築しなくても、たいていの問題は解決するはずだ。