"死生観"を問うコロナ禍 [自然]
今ある『コロナ禍』で、死生観が問われているように思います。
“極端”という言い方では語弊があると(個人的には)考えますが、感染拡大当初の『スウェーデン方式』。
マスクは個人の自由、ソーシャルディスタンスも移動も推奨はするが、強制も罰則も無し。
80歳以上は、(コロナに限らず以前から)延命処置はしない。
(・・・以上、筆者の記憶によればですが)
しかも国民は、不満どころか自国の方針に満足しているという。
かの国は50年以上前から、”社会保障の先進国”のモデル的な存在です。
それからほぼ半年が経ちました。
国内(=スウェーデン)は勿論、他国からも(現在は)別段これといった非難はないようです。
そして昨日(Nov.82020)、スイスでCovid19の爆発的?感染が拡大したと報道された。
スイス政府関係者は、医療の崩壊を避けるため85歳以上の発症者の治療を控たい、とコメントしました。
スイスメディアは、共に85歳以上のある夫婦へのインタビューを報道しました。
老夫婦曰く『私たちは、感染・発症したとしたら、生きる可能性があるのなら治療を受けたい』
これが拡散し、先の指針は取り消されるようです。
以上は、日本に住み、メディア報道だけを拠りどころとしている、半ボケ老人である私の認識であって、現地の実際とは乖離がある可能性はあります。
しかし・・・・
もし私が80、或いは85歳過ぎまで生きたとして、”流行り病”に冒されたとします。
であれば、それこそ命に懸けて言えますが、延命処置や治療など無用です。
それは、子供や女性、働き盛りの人々を優先して欲しい、という事だけではありません。
もし私が、80過ぎまで生きられたとしたら、もうそれで充分です。
天寿でしょう。
それが私個人の死生観です。
世の中の役に立てなくなって、かえって迷惑を掛けてまで生きたくはありません。
私が病に倒れたらなら、それは老いて死期が近づいたと理解します。
今回のコロナウィルスのバカ騒ぎは、人々の死生観を問う一面を持っているように思います。
私ごときには理解できませんが、始皇帝のように、何があっても出来るだけ長生きしたいと考える人もいるようです。
その思いは謹んで尊重いたしますが、『長生き』は何の為なのでしょうか。
人類は何十万年も、ウィルスや細菌、その他諸々の汚染物質を他の人と共有し、それらを自らの糧として利用し、生まれては死に、打ち勝って生き続けてきました。