動悸・めまい・息切れ [ランニング]
ぽかぽか陽気の今日この頃、朝のジョグが気持ちイイです。
しかし、去年から”動悸”がするようになり、今年は”めまい”と”息切れ”を感じるようになりました(すでに歩く速さと変わりない、「ヨタヨタジョグ」ですが)。
まるで、かの名薬?”救心”の宣伝文句そのままですね。
座ってジッとしてても、動悸・めまいはするようになった。
まあ、私の娑婆暮らしもそろそろ『上がり』なんでしょう。
OKです。
ジョグ中の今日の一首・・・・
千葉の里 落ち葉紅葉 ポカポカと
走るジジイも 先は短し
お粗末でした。
私のようなジジィが、トットと死ぬことは良い事です。
ババァという生き物は、年取ってもそれなりに世の為、人の役に立つものです。
クソジジィは、サッサと退場するに限ります。
それこそが、世の中が平和で上手く廻っている証左です。
例えば、先の大戦のように多数の若者が戦死したり、もっと遡れば、江戸時代の飢饉、赤子や子供たちが飢え死にしたり、クチべらしされたり、売られたりした。
世の中が危うくなるとそうなります。
言ってみれば、我ら団塊世代なんてのが現れたのも、元はと云えば戦争のせいでしょう。
ジジィらの先が短いのは自然の摂理で、私は喜ばしい事だと思うのです。
いつまでも生きていては、後がつかえて周りが迷惑するでしょう。
生き方はひと夫々ですが、私は自然のままでいい、天寿を全うすれば善しとします。
今の「コロナ騒ぎ」なんてのも、いっときの事でしょうし。
しかし、去年から”動悸”がするようになり、今年は”めまい”と”息切れ”を感じるようになりました(すでに歩く速さと変わりない、「ヨタヨタジョグ」ですが)。
まるで、かの名薬?”救心”の宣伝文句そのままですね。
座ってジッとしてても、動悸・めまいはするようになった。
まあ、私の娑婆暮らしもそろそろ『上がり』なんでしょう。
OKです。
ジョグ中の今日の一首・・・・
千葉の里 落ち葉紅葉 ポカポカと
走るジジイも 先は短し
お粗末でした。
私のようなジジィが、トットと死ぬことは良い事です。
ババァという生き物は、年取ってもそれなりに世の為、人の役に立つものです。
クソジジィは、サッサと退場するに限ります。
それこそが、世の中が平和で上手く廻っている証左です。
例えば、先の大戦のように多数の若者が戦死したり、もっと遡れば、江戸時代の飢饉、赤子や子供たちが飢え死にしたり、クチべらしされたり、売られたりした。
世の中が危うくなるとそうなります。
言ってみれば、我ら団塊世代なんてのが現れたのも、元はと云えば戦争のせいでしょう。
ジジィらの先が短いのは自然の摂理で、私は喜ばしい事だと思うのです。
いつまでも生きていては、後がつかえて周りが迷惑するでしょう。
生き方はひと夫々ですが、私は自然のままでいい、天寿を全うすれば善しとします。
今の「コロナ騒ぎ」なんてのも、いっときの事でしょうし。
"死生観"を問うコロナ禍 [自然]
今ある『コロナ禍』で、死生観が問われているように思います。
“極端”という言い方では語弊があると(個人的には)考えますが、感染拡大当初の『スウェーデン方式』。
マスクは個人の自由、ソーシャルディスタンスも移動も推奨はするが、強制も罰則も無し。
80歳以上は、(コロナに限らず以前から)延命処置はしない。
(・・・以上、筆者の記憶によればですが)
しかも国民は、不満どころか自国の方針に満足しているという。
かの国は50年以上前から、”社会保障の先進国”のモデル的な存在です。
それからほぼ半年が経ちました。
国内(=スウェーデン)は勿論、他国からも(現在は)別段これといった非難はないようです。
そして昨日(Nov.82020)、スイスでCovid19の爆発的?感染が拡大したと報道された。
スイス政府関係者は、医療の崩壊を避けるため85歳以上の発症者の治療を控たい、とコメントしました。
スイスメディアは、共に85歳以上のある夫婦へのインタビューを報道しました。
老夫婦曰く『私たちは、感染・発症したとしたら、生きる可能性があるのなら治療を受けたい』
これが拡散し、先の指針は取り消されるようです。
以上は、日本に住み、メディア報道だけを拠りどころとしている、半ボケ老人である私の認識であって、現地の実際とは乖離がある可能性はあります。
しかし・・・・
もし私が80、或いは85歳過ぎまで生きたとして、”流行り病”に冒されたとします。
であれば、それこそ命に懸けて言えますが、延命処置や治療など無用です。
それは、子供や女性、働き盛りの人々を優先して欲しい、という事だけではありません。
もし私が、80過ぎまで生きられたとしたら、もうそれで充分です。
天寿でしょう。
それが私個人の死生観です。
世の中の役に立てなくなって、かえって迷惑を掛けてまで生きたくはありません。
私が病に倒れたらなら、それは老いて死期が近づいたと理解します。
今回のコロナウィルスのバカ騒ぎは、人々の死生観を問う一面を持っているように思います。
私ごときには理解できませんが、始皇帝のように、何があっても出来るだけ長生きしたいと考える人もいるようです。
その思いは謹んで尊重いたしますが、『長生き』は何の為なのでしょうか。
人類は何十万年も、ウィルスや細菌、その他諸々の汚染物質を他の人と共有し、それらを自らの糧として利用し、生まれては死に、打ち勝って生き続けてきました。
白鵬と鶴竜が辞めない理由 [大相撲]
その昔、江戸中期までは、『横綱』という地位は無かったと聞きます。
それ以前は、”大関”が力士の最高位だった。
大関と横綱の違いの一番大きな違いは、横綱には降格がないという事です。
今話題の米国の”最高裁判事”ではありませんが、終身制の地位でした。
何故なら、横綱とは”神様”と同じ、人間の依り代だからです。
神社や御神木と同様に、その身に太綱を締めることが許されるのです。
神の領域の人であるから、綱を締め、神聖な土俵を占め、五穀豊穣、今で云えば、人々の安寧を願うのも横綱の務めです。
だから、降格と云うのはあり得なかったようです。
私はテレビ桟敷の一相撲ファンですが、半世紀以上大相撲を見てきました。
しかし、白鵬・鶴竜ほど往生際の悪い横綱は、今まで見たことがありません。
人気があった故に、怪我で何場所も休場しながら、結局良いところなく去った稀勢の里が、悪い先鞭をつけてしまったような気もします。
現在の相撲協会ブレーンも(横綱という看板を失うのが怖いのか)、引退勧告さえしません。
相撲はスポーツではなく、日本の国技と云うのであれば、何よりも品格を重んじ、けじめや引き際を大切にしてほしいものです。
我々相撲ファンは、力士の取り組みだけでなく、その生きざまに感動し賞賛の拍手を送るものです。
『力士になって出世すれば、高収入&将来補償』だから、という勝ち負け至上主義や、なりふり構わぬ『出稼ぎ』相撲取りは、あまり見たくはありません。
個人的には、”横綱”という地位も、降格有りにするか、または横綱の地位そのものを無くすことも、検討しては如何かと思います。
それ以前は、”大関”が力士の最高位だった。
大関と横綱の違いの一番大きな違いは、横綱には降格がないという事です。
今話題の米国の”最高裁判事”ではありませんが、終身制の地位でした。
何故なら、横綱とは”神様”と同じ、人間の依り代だからです。
神社や御神木と同様に、その身に太綱を締めることが許されるのです。
神の領域の人であるから、綱を締め、神聖な土俵を占め、五穀豊穣、今で云えば、人々の安寧を願うのも横綱の務めです。
だから、降格と云うのはあり得なかったようです。
私はテレビ桟敷の一相撲ファンですが、半世紀以上大相撲を見てきました。
しかし、白鵬・鶴竜ほど往生際の悪い横綱は、今まで見たことがありません。
人気があった故に、怪我で何場所も休場しながら、結局良いところなく去った稀勢の里が、悪い先鞭をつけてしまったような気もします。
現在の相撲協会ブレーンも(横綱という看板を失うのが怖いのか)、引退勧告さえしません。
相撲はスポーツではなく、日本の国技と云うのであれば、何よりも品格を重んじ、けじめや引き際を大切にしてほしいものです。
我々相撲ファンは、力士の取り組みだけでなく、その生きざまに感動し賞賛の拍手を送るものです。
『力士になって出世すれば、高収入&将来補償』だから、という勝ち負け至上主義や、なりふり構わぬ『出稼ぎ』相撲取りは、あまり見たくはありません。
個人的には、”横綱”という地位も、降格有りにするか、または横綱の地位そのものを無くすことも、検討しては如何かと思います。