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貯金が無くなってきたらしい [自然]




どうやら私の貯金が無くなってきたらしい。

『貯金』とは、この場合お金のことではなく、〈体力〉の話です。

かつてサラリーマン時代、20年ほどアマチュア・アスリートをしていましたので、体力はありました。

比国の田舎に住むようになると、朝錬とかをする環境も不備で、記録会や大会など有るわけ無く、習慣的な鍛錬からは遠ざかってしまいました。



以来、また別の20年が経ようとしています。

しかし、その間まったく運動をしていなかった訳ではなく、たまに思い出したように走ったりしています。

去年あたりまでは、昔の貯金があったせいで、1時間程度でしたら別に息も上がらず、筋肉痛にもならず、楽にこなせていました。

2014年の声を聞いてから、ちょっと様子が変わってきたようです。

本来であれば、もう筋肉が落ち体重も8キロほど減りましたので、キロ5分程度のスピードのジョグなら、前より軽くやっつけないといけないのですが、ヘンですね。

以前は足が勝手に動いてくれたのに、動かそうとしないと動かない、他人の足のようです。




比較するのもおこがましいですが、千代の富士の引退会見の言葉。


「体力の限界!…気力もなくなり、引退することになりました…以上です。」



歯を食いしばり、零れ落ちる涙をこらえた表情に、感動された方も多かったと思いますが、小さな大横綱の仰る様に、〈体力〉と〈気力〉は、対を成しています。

体力と気力は、落花生の『お爺さんとお婆さん』のようでして、その片方だけがあると言う事はないようです。



私の場合で云いますと・・・・

気力が衰えたから、体力も衰えた

体力が衰えたから、気力も衰えた


ま、要はどっちでも一緒ですが、人並みの思考力のない私の場合、明晰な頭脳で世の中を渡って行くということは土台無理と、学習いたしました。

考えてみれば、サラリーマン時代も、比国での今までも、アタマではなく、カラダでやってきたと思い当たるからです。


であれば、体力の貯金が無くなりかけた今、何とかしないといけない。

それが、私が生き残る為のたったひとつの道と、分かっていながら、気力が伴わないから体力が作れない。

楽しかったはずのことが、辛いと感じてしまう。



体力の貯金が無くなった。

これは世間様からすれば、些細な悩みですが、先が見えて来たって事でしょうか。


しかし、世のため人のため、家族のため、死ぬまで働き続ける、これも私のポリシーですから、あと5年か10年か分かりませんが、お迎えが来たときになって後悔しないように頑張る・・・・なんて考えています。

オギャーと産まれて62年と半年、年相応の分別に欠けるように思える私には、それしかないようなのです。


ちなみに今朝は30分、軽めで走りました。


借金生活だけは避けなければ・・・・・




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