田舎娘でも?成長する [フィリピン人]
仮に名前をQとします。
かれこれ7年ほど前ですか。
まだ二十歳そこそこだったQを、スタッフとして採用しました。
私共の今の“T2ゆかり”ではなく、その前に勤務していたダイブリゾートでのことです。
当時のQの印象としては、今風のフィリピンの田舎娘以外の何ものでもなく、つまり可もなく不可もなく、やる気もなく、という感じでした。
フィリピン人スタッフの仲間同士の評価も、『自分勝手でどちらかというと嫌な奴』と低評価でした。
そのQが、そこを辞めて、オスロブ町のローカルカラオケ屋で、住み込みで働き始めました。
ローカルカラオケ屋というのは、酒を出し、カラオケがあり深夜までうるさい、まぁ比国の田舎ではよくある小汚い場所です。
Qの仕事はそこのウェイトレス、客に進められれば酒も飲むし、歌も歌うし話し相手にもなる、日本風にいえば場末のスナックの女の子(従業員)でしょうか。
働き始めてしばらくして、これもよくある事ですが、お客と仲良くなり妊娠しました。
そして、さらによくある事というか、ほぼこの国の法則通り、妊娠と同時に男は顔を出さなくなり、縁は切れました。
Qはそこを辞め、親の家に帰って子供を産みました。
貧しい上にさらに子供が生まれ、食べていけなくなり困ったQでしたが、OFW(海外労働者)に応募したところ、運良く採用となりました。
契約は2年間、場所はシンガポールの中国人家庭、仕事はもちろん〈ハウスメイド〉です。
そこで契約の2年間辛抱し、気に入られ再雇用でもされれば、仕送りもでき、一族郎党を養い、さらに家が建つ可能性が高いのですが・・・・・・
半年でギブアップして、帰国してしまいました。
『仕事がとてもつらかったから・・・』というのが本人の弁です。
半年で辞めるという事は、下手すると借金が残ることがあります。
一般的に、パスポート取得、仕事のトレーニング、エアチケット、ブローカーの斡旋料などの諸経費を、彼女の給料から差し引き返還するシステムだからです。
Qはその後は、家の近所のフェリー乗り場の売店などで働き、どうにか暮らしていたようです。
で、2ヶ月ほど前、ひとを介して『T2で働きたい』と言ってきましたので、“来る者拒まず”のうち(T2)としてはQを採用いたしました。
前に同じオスロブで男に妊娠させられているので、『住み込みは絶対ダメ』という親の条件です。
Qの家からT2まで、片道30キロ、バスで40分の道のりです。
左端がQです。
ざっと以上が経緯といいましょうか、前置きです。
7年ぶりにみる《Qの変化》に、奥様Mと私は驚きました。
いくら食べても太りそうもない体型は相変わらずで、問題は中身です。
チャラチャラしたところが、全く無くなり、態度に落ち着きがあります。
仕事も、前から居るウチのスタッフと同等以上にこなします。
ウチで一番の遠距離通勤なのに、遅刻や欠勤がありません。
(他のスタッフも見習ってもらいたいのですが。)
この7年間、彼女なりに苦労したのだと私は思います。
それほどの変わりようです。
海外出稼ぎで挫折はしましたが、《無駄》ではなかった。
いわば、“Nice Try”でした。
今時の日本の『箱入り娘』や『箱入り息子』たちは、嫌な言葉、ナンセンスと思うかもしれませんが、日本でも“若いときの苦労は買ってでもせよ”という言葉があります。
若いときの、砂を噛むような経験を、その後に本人が成長のバネにするか、それで潰れるか、それを忘れてしまうか、という《苦労の後の生き様》しだいではあります。
が、なにかの番組で武田鉄也が、
『本当に辛い時、励ましてくれるのは過去の自分だけ』
といっていましたが、これは蓋(けだ)し名言ではありますね。
話をフィリピンに返します。
この近所の若者たちは、『仕事は疲れて嫌だからしない』と言い、学校を出てもブラブラしています。
しかし、Qにとっては、T2も含めてこの程度の仕事なんて、異国での3階立ての中国人の大家族の一人メイドに較べれば、屁でもない、お遊び同然なのでしょう。
《シンガポールの半年間》という《過去の自分》が、いまのQを助けているんですね。
Qのことに限らず、とくにフィリピンの田舎という、本当に狭くお気楽な“井の中の蛙”社会ですと、そこから一度でも出たことのある人と、まったく出たことがない人とでは、これはもう同じフィリピン人でも確実に違う、という印象を私は受けます。
あちこち話は飛びますが、T2ではスタッフ募集中です。
特に人並み以上の苦労をさせようというつもり(笑)は毛頭ありませんが、外から自分の国、日本を見てみる、自分の可能性を探ってみるのも良いことだと私は思います。
(↓募集欄、参照下さい。)
http://t2yukari.com/
コメント 0