七夕のビーチで残業2 [工事]
(昨日の続きです。)
17:30.
一服して作業再開。
もうあたりは薄暗く、スローなシャッターで写真はぶれます。
とその時、沖の雲間を突き抜け満月があがってきました。
煌々と輝く月ですが、やはり月。
セメントと石の区別がハッキリつくほどは、明るくはありません。
上の写真の5秒後、カメラの露出を最大にして写しました。
カメラの目から見た光景です。
人間の目では、このようには見れません。
月はまるで“元気玉”です。
100倍くらいの大きさに映り、景色の色は太陽の光で見るのとは異なります。
月光仮面の故郷である月の光と太陽光では、スペクトルが違うからでしょうか?
実に怪しげな色です。
“悪魔が来たりて笛を吹く”・・・みたいな。
18:30.
皆の顔に疲労が見える頃になりました。
速く終わらせて、家族の待つ家に帰りたいのでしょう。
私フウテンも同じ気持ちです。
(シャワーして、ビール駆け付け3本・・・ウメ~ッ・・・とか。)
全員内心は、『これで終わりだな・・』と考えていたはずです。
なぜなら終了予定時間まであと30分、片付け時間を考えたら、15分しかありませんから。
ところがここで、独り作業継続していた棟梁エンボイが言ってのけました。
「セメントッ!あとひと練りだ!」
その声に弾かれたように、パンチョが捏ね場に砂を準備。
いつもの事ながら、エンボイの仕事に対する粘っこさ、執念は、見上げたものです。
もしフィリピン人の1割が、仕事に対してエンボイのように取り組む人間だったら、諸外国のフィリピンに対する評価は、違ったものになっていたはずです。
フィリピンという国の現状も然りでしょう。
国は人です。
“国”とは“国家”とも言います。
経済も重要かもしれませんが、“家”のように、そこにどのような家族が住んでいるかで、栄枯盛衰は必然の結果として表れます。
国なんて、国民次第でどうとでも変えられるものだと、私はつくづく思います。
私は頭の悪い落ちこぼれですが、この年になればその位の事は考えられます。
しかし悲しいかな、この国にはエンボイのように誠心誠意に仕事するタイプは、1割どころか1%もいないようです。
彼は日本の建築現場に入れても、技術はともかく、その熱意だけは並みの日本人では太刀打ちできないでしょう。
19:00.
その最後のひと練りのセメントを打ち終えて、月はさらに昇り、作業終了と相成りました。
そしていち夜明け翌日。
早朝やや波気があり、シーウオールの囲いの内側は砂が堆積しました。
プライベートの天然砂場です。
それを発見した息子フィリピン1号は、子守りと一緒に早速遊んでおりました。
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