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実るほど・・・・ [自然]

昨日も、ご存知、朝のジョグです。

里を走ってますが、ついこないだ花が咲いたと思っていた梨の木には、もう既に食べ頃の梨が沢山ブルさがっています。

このところ、田圃の水も抜かれ、『実るほどこうべを・・・』と云われるように稲穂が重く垂れ下がっています。

中には、もう倒れそうなほど傾いている田圃もあります。

あと数日で刈り取られ、美味しい『新米』となるでしょう。


四季折々、風景、花、果物、稔り、私の人生は1/3が海外でしたので、日本の自然と云うか里山の景色には、いちいち感動してしまいます。

稲は、米という稔りで頭を垂れます。

稲に較べれば、私は無駄に生きてきただけのようで、胸を張れるような実りも無かった。

ただただ疲れただけで、私の頭はガックリと下がります。



黄金色に輝く田圃の脇を、私は俯(うつむ)き走る、ヨタヨタと。







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最強?の歯痛 [医療]


かれこれ40年近く、歯医者に行っていません。

じゃ、虫歯が無いのかと云えば、正反対。

被せ物、詰物は、ほとんど取れて穴だらけ、歯抜けもあります。


もう高齢者ですから当然、しょっちゅう痛みます。

普段の対処法は、電動歯ブラシでしつこく磨いて、ミュータンス(虫歯菌)を撃退しています。

痛みを我慢しながら、長くても1週間やると傷みは引きます。


しかし今回は、酷かった。

今までで最強の痛さ。

歯痛、顎痛が、頬痛から目まで昇ってきて、顔面痛、期間も3週間続きました。

噛むと痛いから、前歯で咀嚼。

傷みで眠れないし、痩せました。



ギブアップして奥さんに言って、歯医者を紹介して貰うべきかとまで思案しました。


でもここ数日、やっと痛みが引いてきました。


この先の事は分かりませんが、”歯痛で死んだ人はいない”と私は信じていますので、『オレ流』を続けます。






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耳に痛い意見は [世界]

人は誰も、耳に心地よい話は聞きたがります。

が、耳が痛い意見は嫌がります。

末尾のURLなんかその典型。



平成の30年間で、日本が世界に取り残された事実。

まずこれを認めないと、日本の凋落は止まらないかも。

私なんぞには先が無いですが、子供、子孫はまだこれから。

いつまでも、架空のお花畑で遊んでいる場合でしょうか。


鈴木券太郎らは、130年ほど前に”脱亜入欧”と唱えましたが、今こそは、その心意気が必要なのかも知れません。

世界はドンドン動いています。



日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか

https://toyokeizai.net/articles/-/288272


上のURLを以下にコピーさせていただきました。(ちょっと長いです)


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なぜ日本人は、ここまで「のんき」なのか

出口治明(以下、出口):アトキンソンさんが以前書かれた「日本人の議論は『のんき』すぎてお話にならない」という記事を読ませていただきました。そこで述べられているとおり、日本が置かれている状況は非常に厳しいのに、それを理解している人が少なすぎます。僕もまったく同感です。 平成の30年間のデータを見ると、日本がいかに危機的な状況にあるかは一目瞭然です。


GDPの世界シェアを購買力平価で計算してみると、約9%から4.1%に減少。IMDの国際競争力は1位から30位に陥落。平成元年には時価総額の世界トップ企業20社のうち、14社が日本企業だったのに、今はゼロです。これで危機感を持たないほうがおかしいと思います。 ただ、僕もアトキンソンさんがご著書で常に述べておられるとおり、日本人の実力はこんなものではないと信じているので、なんとか奮起してほしいと考えています。 日本人がこんなにものんきになってしまったのは、高度経済成長の成功体験が大きすぎたことにあるのではないかと私は考えていますが、アトキンソンさんはどうですか。


デービッド・アトキンソン(以下、アトキンソン):いちばんの原因は、日本人が「分析をしない」ことにあると思います。 たしかに高度経済成長期、日本のGDPは世界の9%弱まで飛躍的に伸びました。それは事実です。 しかしそのとき、「日本ってスゴイ!」と喜ぶだけで、何が成長の要因だったかキチンと検証しませんでした。さらには「日本人は手先が器用だから」とか、「勤勉に働くから」とか、「技術力がある」からなど、直接関係のないことを成長要因としてこじつけてしまい、真実が見えなくなってしまったのです。 出口:データで検証してこなかったのですね。

アトキンソン:そうです。私が卒業したオックスフォード大学に、リチャード・ドーキンスという生物学の先生がいます。私は彼の講義を聴講したことがあるのですが、面白いことを言っていました。 彼によると、人間の脳は、アフリカの大草原に暮らしていたときとあまり変わらないのだそうです。

どういうことかと言うと、草原で暮らしていた当時の人類は、丈の高い草の中で何かの音が聞こえたら、反射的に逃げます。なぜなら、「あの音は何だ!?」と考えたり、エビデンスやデータを取って調べ始めたりすると、ライオンに襲われて食われてしまうからです。条件反射で逃げるという行動が進化したのです。 そのためデータを取ったり、エビデンスを確認したりしてロジカルに考えることが、人間のDNAの中には組み込まれていないのだそうです。 ドーキンス教授流に言うと、「高度成長した=日本人すごい」「技術力があるから日本経済は復活する」「ものづくりで大丈夫」と直感的に決めつけてエビデンスやロジックを求めない頭の使い方は、こういう野生時代から進歩していない、と言えます。

最大の問題は「マネジメント層」にある

出口:例えば高度成長期には、日本は年平均7%も成長したのですが、その成長に何が寄与したのか分析できていないのは、おっしゃるとおりですね。分析すれば人口増加の寄与度がいちばん大きかったという、アトキンソンさんが分析したとおりの結果が出ます。

しかし、こういう当たり前の分析を行わずに「日本人は器用だから」「協調性があるから」「チームワークがあるから」成長したと思い込んで、根拠なき精神論のままこれからもやって行こうとしても、世界の新しい変化に対応できるはずがありません。 驚くことに、いまだに「欧米の強欲な資本主義とは違い、日本の経営はすばらしい、三方よしだ」などと言う評論家や学者がいるのも事実です。僕は彼らにいつも、次のように質問しています。

「日本の経営がすばらしいのなら、なぜアメリカ、ヨーロッパ、日本という3つの先進地域の中で、日本の成長率がいちばん低いのか」「なぜ日本人は年間2000時間も働いているのに、1%しか成長しないのか」「なぜヨーロッパは1500時間以下の短い労働時間で2%成長しているのか」 まともな答えが返ってきたことは一度もありません。 この問いの答えは、日本のマネジメントがなっていないということ以外にはないのですが、それを的確に答えられる人が実に少ない。こういう当たり前のことを、「原点から考える」訓練ができていないところがいちばんの問題ではないかと思います。 アトキンソン:日本の所得が少なく、生産性も低い。その結果社会保障制度が不健全になってしまったというのも、労働者の問題ではなくマネジメントの問題です。

アトキンソン:1990年代以降の生産性向上要因を分析すると、人的要素も物的要素もほかのG7諸国とほとんど変わりません。しかし、マネジメントが最も関係する生産性向上要因(全要素生産性)は、諸外国ではものすごく伸びているのに、日本ではほとんど伸びていません。


つまり、日本に決定的に不足しているのはマネジメントだということは、はっきりとエビデンスとして出ているのです。やはり、日本の経営者は才能がない。失われた30年の根本原因はマネジメントが悪いから、それに尽きます。 こういう話をすると「衝撃的です」と言われてしまう。なぜこれが「衝撃的」なのか。 私は政府関係者と話をする機会が多いのですが、日本経済を議論するときにテーブルに座っているのは、日本という国家のマネジメントをやっている国会議員と、企業のマネジメントをやっている経団連や経済同友会、または商工会議所の人たち。 つまりは日本のマネジメントを中枢でやっている人たちです。日本経済の問題点について彼らと議論をしても、マネジメントに問題があるというものすごい単純なことは、なかなか理解してもらえません。なぜなら、彼らにとっては自分たちが悪いと認めることになるからです。

「ロジカルに考える」という当たり前ができていない


出口:日本のマネジメントがダメなのは、データを軽視し、自分の経験(エピソード)や思い込みだけで物事を判断してしまうからだと思います。例えば、いま世界を席巻しているのは、GAFAでありユニコーンですよね。しかし、そういう企業を強欲資本主義の象徴だと思っている日本の経営者がいっぱいいます。 僕はそういう人たちに、よくGoogleの人事部の話をします。Googleの人事部は社員の管理データのうち、国籍・年齢・性別・顔写真、これらすべてを消してしまったそうです。そんなものは必要ないからと。 人事を決めるのに必要なのは、今やっている仕事と過去のキャリアと将来の希望だけ。男か女か、歳はいくつだとかは一切関係ないというのが彼らの考え方で、こちらのほうがはるかに人間的です。世界の優れた企業は社員をとても大事にしている、だからこそいいアイデアがどんどん出てくるという好例だと思います。 日本の会社は社員を大事にしていると思っている経営者が少なくありませんが、それは本当でしょうか。きちんとデータで確認した人はいるのでしょうか。僕には単なる思い込みであるとしか考えられません。

アトキンソン:日本という国のマネジメントを行っている役人も、思い込みに縛られて、楽観的というかはやり言葉に流されて、考え方が甘い傾向があります。 以前、霞が関の会議に出席した際、「ロボットとAIなどの日本の最先端技術によって、日本経済は復活する」などと話していました。ですが最先端技術は、ずっと以前からあるのです。それが今まで普及してこなかったのはなぜかという産業構造の問題を検証することなくそんな主張をされても、論理が通っているとは思えません。

たとえ最先端技術があっても、誰も使わないならないのと同じです。「普及」こそが問題なのです。AIさえあればうまくいくというのは、念仏さえ唱えていれば極楽浄土に行けるという話と変わりません。しかも、それに気がつく人すら誰もいない。で、私が自分の意見をぶつけてみると、何か「宇宙人が来た」みたいな反応されました。 その会合の後で「さすが外人さんは見る目が違いますね」といったことを言われたのですが、外人だから考え方が違うのではありません。手前味噌ですが、「脳みそを使っている人」と「使っていない人」の違いなのではないかと最近よく思います。国籍が違うのはたまたまです。

出口:僕も地域おこしの政府の審議会などによく呼ばれるのですが、面白いものを作ったり、面白い人を呼んでくれば、その地域の関係人口が増えるからやるべきだという話がよく出ます。そのこと自体は正しいのでしょう。 しかし、日本全体で見れば人口が減っていくのだから、そうやって地方に来る人を増やしてもゼロサムゲーム以上にはならない。出生率を上げるとか、訪日外国人を増やすにはどうしたらいいかなど、国全体の話をしなければ全体最適にはなりません。 また、東京は豊かだから、東京からもっと地方へ人やお金をシフトしようと言う人もいます。しかし、東京は日本でいちばん生産性の高い場所です。それでも香港やシンガポールとの競争には負けつつある。

日本のエンジンである東京を弱くするという発想は、どう考えてもおかしい。むしろ、東京をもっと強くして、香港やシンガポールを圧倒しなければいけないという発想を持たないと、地域も発展しません。 こんな議論を僕はいつもするのですが、すると「おっしゃっていることはよくわかりますけれども、この審議会は地域おこしのことをやっているので……」という話になってしまいます。 僕は日本人ですが、どちらかと言うと変わったキャリアの持ち主です。だから「出口さんのような変わった人の意見を聞けて面白いですね」と、アトキンソンさんと同じようなことをよく言われてしまいます。 僕にしてみれば、数字・ファクト・ロジックで考えたら、誰でも思いつく普通の意見を言っているだけなのですが、社会常識と合わない意見は、外国人だったり変人の意見ということになってしまう。これが、この国の根本的な衰退の原因のように感じます。

アトキンソン:本質を無視してしまうのは、大問題です。 出口:アトキンソンさんは哲学者デイヴィッド・ヒュームの故郷、イギリスのお生まれですよね。ヒュームという人は、因果関係を徹底的に疑った人なので、今度似たような議論になったら「ヒュームを1回読み直してから議論しませんか」と言うのがいいかもしませんね。 アトキンソン:最近いつも、こう言っています。「首の上にある重い塊を、皆さん毎日毎日運んでいるのですから、たまには使ったらいかがですか」って。重いんですから(笑)。

あまりにも「勉強」を軽視している日本人

出口:実は最近、アトキンソンさんに倣って「日本人はなぜ勉強しないのか」をデータで分析したのですが、答えは割と簡単でした。 まず、第1に大学進学率が低いのです。確か52%ぐらい。日本は大学に行かない国です。OECDの平均が6割を超えていますからね。 さらに大学の4年間でほとんど勉強しません。これは企業の採用基準が悪い。採用のときに大学の成績や読んだ本のことは一切聞かずに、ボランティアの経験を話してごらんなどと言っているわけです。だから、エントリーシートに書くためにボランティアをやるというような、本末転倒な状況が生まれてくるのです。 さらに大学院生は使いにくいなどと言って企業が採用しないから、大学院に行く人が少ない。日本の大学院生の比率は先進国の中で最低レベルです。

アトキンソン:大学で何を学ぶのかについても、誤解している日本人が少なくありません。 以前、ある大学の方から「ロジカルシンキングの授業をつくりたい」と相談されたことがあります。あぜんとしました。これまで何を教えていたのでしょうか。 大学で学ぶべきことなど、「ロジカルシンキング」以外にはありません。サイエンス、経済、法律、文学などは、もちろんそれ自体大切ではあるものの、基本的にはロジカルシンキングを学ぶための「材料」です。材料が現実の仕事に生かせるとは限りませんが、ロジカルシンキングは必ず、その後の人生に生きてきます。

出口:本来なら、大学を出た後でもロジカルシンキングの能力は伸ばせます。しかし、就職したら年間2000時間労働で、飯・風呂・寝るの生活。勉強する時間などありません。 さらに2000時間労働した後で、同僚同士で飲みに行ってお互いに調子を合わせて時間を浪費する。日本は構造的に勉強できない国になってしまっているのです。 この状況をどこから直せばいいかと言えば、意外と簡単です。経団連の会長や全銀協の会長が、大学の成績で「優」が7割未満の学生の採用面接はしないと宣言する。あるいは卒業してから成績証明書を持って企業訪問させればいいのです。成績採用になったら、さすがに勉強するようになるでしょう。 それから、残業規制を強化して徹底的に勉強させる時間をつくればいいのです。こうやって、無理やりにでも行動を変えさせない限り、日本の低学歴化は是正されません。 新しい産業やイノベーションを起こすには、基本的にはダイバーシティーと高学歴が必要です。高学歴というのは、ドクターやマスターといった学位を持っているということではなく、好きなことを徹底して勉強し続けるという意味です。

人間の限界を理解し、データとロジックで補強せよ
アトキンソン:出口先生もご存じだと思いますが、アメリカの経営学の学会では、マネジメントが完全にサイエンスになっています。 なぜそうなったのかというと、そもそも人間の頭をそのままにしておく、すなわち草原の本能のままでは、ろくなモノができないからです。だから大学が必要で、経営者教育も必要で、株主がいて助言させる。社長の勝手な思い込みで好き勝手にさせないようになっているのです。 たった1人の頭の中で、データもエビデンスもロジカルシンキングもなく精神論だけでやるどうなるか。歴史を振り返ると、大当たりする可能性もゼロではありませんが……。 出口:でも、確率的に言ったらたいてい失敗しますよね アトキンソン:そうです。たいてい失敗します。 今の日本の経営者がまるでなっていない理由は、大草原に住んでいた頃の頭のままで経営をしようとしている、ただ単にそれだけだと思います。別に人間として能力が低いわけではありません。 人口増加によって、日本の経営者は一見すばらしく見えていました。しかし人口が減少するようになったために、その弱点が表面化してきたのだと思います。 人口減少という危機に直面している以上、極めて高度な経営が求められています。しかし今の経営者は、自分たちが変わらないといけないということに気づいていないのです。 ほかの先進国ではすでにこのことに気がついています。人間の限界を理解している。ビッグデータはその象徴的なものだと思いますが、とにかくデータで徹底的に分析することによって、勝手な思い込みをする人間の欠点を取り除く経営が進んでいるのです。 出口:今日お話をさせていただいて、日本のマネジメントの問題を改めて考えさせられました。 マネジメントのトップ、つまりリーダーたちが勉強して意識を変えれば、日本も変わると思います。その意味でも、リーダーこそアトキンソンさんの本をきちんと読んで、根拠なき思い込みを捨てなければいけませんね。 (構成:小関敦之)







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マムシがいた [ランニング]

3日前のジョグの帰り道、私の前をマムシが這いずり、草むらに消えました。



独特の斑紋とふてぶてしい態度、マムシです。

足元のマムシをじっと観察して、見送りました。

ジョグの途中、ヘビに遭遇することは珍しくはないですが、マムシは初めてでした。



思い出しました。

子供の頃、アウトドア少年?(私の世代はたぶん半分以上そうだった)の私にとって、ヘビも”遊び友達”でした。

捕まえて、紙袋に入れて学校へ持っていって友達を驚かしたり、いろいろ悪戯の道具でした。

同級生の中には、皮を剥いでブツ切りして、焼いて食った猛者もいました。

でもそれらは、シマヘビ、青大将がほとんどで、大人しい蛇でした。

たまにヤマカガシやカラス蛇(これらは毒蛇だから気を付けろと、言われていましたが)を捕まえて、アタマを石で潰したり。


しかし、マムシは別格でした。

エラの張った三角アタマは迫力があったし、野良で鎌首もたげて、舌でもチョロチョロ出していれば、怖くて近寄れませんでした。



まぁ↑は、半世紀以上前の話で、今では深く反省しています。

この頃は蛇を見かけてもジッと観察するだけ、まして捕まえる元気や好奇心など、とうに失せ環境に優しく、”人畜無害”の私です。


今は、代わりに?次男がクワガタを多数捕まえてきて、飼い殺し?していますが、秋には次男をどう説得して、生き残りを野に放たせようかと思案中です。








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寒さに慣れた・メイドインジャパン [自然]


常夏の島から帰国して、4度目の夏です。

毎日暑くてだるいです。


去年の夏までは、こんなに暑く感じませんでした。

2016年の夏などは、外の日差しのもとに出るのが、心地良かったくらいでした。

(その代わり、冬は寒くて、毎日震えて暮らしていました。)

身体の変化です。

日本の冬に慣れた=結果、夏が暑い。

人間のカラダの細胞は、7.8年で全部入れ替わるらしいから、私の身体の半分は、もう”MADE IN JAPAN”になったようです。


夏バテです、ウナギ食べたいです。





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「できた」事が「できない」 [終活]


お盆です。

暑い日が続いています。



ご先祖や父母にお線香をあげて、考えてみれば、私も今まで普通に出来たことが、出来なくなっています。


出来ることが減り、出来ないことが増える。


諸先輩が通った、この道です。


例えば、ジャムなどの瓶が開けられなくなったとか・・・


一番ショックなのは、真夏のジョグの時、去年までは給水なしで行けたのに、今年はついに途中給水するようになったこと。


(去年は、途中歩きがはいった・・・これも初めての経験でした)




前期高齢者になって数年、出来ることが減ってきて、現在、唯一残された”道楽”ーーージョグです。



キロ10分でもいい、どんなに遅くなってもいいから、死ぬまで走りたい。


・・・でもそれも、やがて打ち砕かれる。


それが定めです。



縋(すが)って生きるモノ。


年取るということは、縋るものが無くなることのようです。





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共同親権は必要 [子育て]


夫婦が離婚した時には、そこに至る諍(いさか)いがあったわけです。

『顔も見たくなくなった』夫婦に未成年の子がいた場合、日本では『どっちがとるか?』という流れになります。

そこに円満な解決は少ないです。

しかし、欧米先進国の多くのケースでは、まず”子供ファースト”の解決が執られるようです。

もともと「子供は親の所有物じゃない」という考えのもとに、封建的な分配のような解決法は取りません。

思うに、(乱暴な言い方ですが)勝手に結婚して、勝手に子供を作って、勝手に離婚する親なんて、もともと信用に値しないという事でしょう。

全ての子供には将来があって、夢や希望があります。

人により、国により、意見の相違はあるでしょうが、まず第一に子供の事を考えるべきです。

下のコラムのように、現状のわが国の現状は、今の時代にそぐわないように思います。




親による「誘拐」が容認されている日本の異常 なぜ離婚後の共同親権が認められないのか



https://toyokeizai.net/articles/-/292845


隠れた誘拐大国ニッポン――。近年、夫婦が別離した際などに、片方の親が子どもを連れ去り、もう片親が会えないという問題がメディアなどで取り上げられるようになっている。実際、配偶者と別れることを考えている相談者から、子どもの親権を確実に取るにはどうしたらよいかと聞かれたら、「日本では子どもを連れて家を出るのがいちばんだとアドバイスせざるをえない」とある弁護士は明かす。 日本の伝統的家族観は、母親が子どもの面倒を見て、父親が働いてお金を持ってくるというものだ。そのため、日本には両親の別離後も両親が子どもを共同で監護するという発想がなく、日本の警察や司法は片方の親による子どもの「連れ去り」を事実上容認している状態にある。その表向きの理由は、連れ去りを罰することは、それを容認するよりも、子どもに悪影響を与えるから、というものだ。

妻との口論後に子どもを連れ去られた

日本で言うところの連れ去りは、英語では「abduction」といい、通常、誘拐、拉致と訳される。ところが、日本ではこの行為を誘拐や拉致とは別のことのように捉えている。「片親が他方の親の同意なく子どもを連れ去ることは『誘拐」と表現するべきです」と児童精神分析に詳しい東京国際大学教授の小田切紀子氏はいう。 片方の親が子どもを連れ去った場合、裁判所や警察は介入しない。しかし、連れ去られた側が子どもを取り戻した場合、介入が起こる。このシステムでは、子どもを最初に連れ去った親が有利となる。連れ去った期間が長ければ長いほど、連れ去られた側の立場は弱くなる。

馬場満氏は昨年11月5日、妻との口論後に2人の子どもが連れ去られたと主張する。それ以来、彼が子どもに会えたのは30分間だ。子どもたちは彼の家から2キロもない場所に住んでいるが、会うことは許されていない。 子どものうちの1人は慢性的な病気で、離れて以来、馬場氏の知らないうちに2度入院。不眠症に苦しむ馬場氏は仕事を辞め、現在は夜タクシー運転手の仕事をしている。目下、さいたま家庭裁判所に子どもを取り返す訴えを起こしているが、子どもに会える可能性についてはあまり楽観視していない。実は、馬場氏自身15歳のときに父親に連れ去られ、父親から母親を嫌うように教えられた。「母親に再会できるまでに36年かかった」と、彼は話す。

別の日本人の父親は5年前に妻がふさぎ込み、生後6カ月の子どもを連れて実家に帰ったという。彼は急いでそこへ向かったが、息子に会うことが許されたのはたったの4時間。そしてその後は1年7カ月もの間、息子に会うことができなかった。 父親は養育費を支払っているが、父親が子どもに会えるのは月に1回、2時間。父親は裁判所で親権を求めたが、裁判官は、母親の行った連れ去りは違法ではなく、母親に引き続き監護養育を継続させることが子の福祉に合致するとして、彼の求めを拒否した。妻が再婚した場合、彼女の新しい夫は、子の父親の同意なしに子の親権者となることができる。 この2人の父親のケースは、日本で何千件と生じていることの一例にすぎない。



マクロン大統領に窮状を訴えたフランス人

こうした連れ去りでは、多くの場合、別居を通じ、子どもを連れ去られた親は子へのアクセスを失う。連れ去った親は事実上、残された親への訪問をどの程度許可するか、あるいは、訪問を認めないかなども決めることができる。連れ去った親が面会を拒否した場合、残された親が面会権を得られたとしても、1カ月2、3時間、場合によっては連れ去った親の監視下など、とんでもなく厳しい条件下での面会となる。親権や面会をめぐって係争中の場合は、面会はさらに制限的にしか認められないことが多い。

一方、日本で事実上容認されている連れ去りは、海外でも大きな問題となっている。6月26日、G20に先駆けて東京のフランス大使館でスピーチを行ったフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、フランス人男性3人と面会した。いずれも、子どもが日本人妻に連れ去られたと主張している父親だ。1人は、元妻から送られてきた子どもの写真を持ってきていた。写真では子どもが両手を高くあげ、父親から送られた誕生日プレゼントを持っている。ただし、プレゼントの封は開けられていないままだ。
別の父親はマクロン大統領に、去年の夏のある夜に帰宅すると、家にはベッドと洗濯機、そして自分のパスポートしか残っていなかった、と話した。2人の子どもは妻に連れ去られてしまっていた。妻は家庭内暴力を訴えてシェルターに数週間避難していたのだ。もっとも父親はこれを否定している。
その父親は子どもたちが連れ去られたことを警察に報告した。そこで警察官に告げられたのは、それは「プライベート」な対立であり、警察の管轄外だということだった。だが仮に彼が子どもを取り戻そうと連れ去った場合、彼は誘拐で逮捕される。つまり彼はもう2度と子どもに会えないかもしれないということだ。 妻が昼間にひっそりと家に帰っていることに気づいた彼は、家とその周辺にくまなくカメラを仕掛けた。彼は録画された映像で、妻が7カ月の娘を車のトランクに閉じ込めているのを確認。だが、児童保護センターはそのビデオを受理するのを断った。
彼は子どもの連れ去りに関して、現在までに弁護士費用などに多額の費用を費やしてきた。家に帰る途中で妻と子どもに出くわして迷惑行為で訴えられないよう、子どもたちに会わないように迂回している。彼の件は現在、裁判中だ。 国際間の連れ去りの被害者はまだラッキーかもしれない。国境を越えた子どもの誘拐に対応する「ハーグ条約」があるからだ。同条約は子どもが国境を越えて連れ去られた場合、子どもを元の居住国に直ちに返還することを原則としている。もちろん母親による連れ去りも対象だ。日本もアメリカやヨーロッパ諸国からの圧力を受け、2014年に91番目の国として同条約に署名している。2014年以降多くのケースがこの条約のおかげで解決してきた。


子どもから親を奪っていいのか

外務省が最近、ハーグ条約についてのシンポジウムを開催した際、参加者によれば、登壇した最高裁判所の家庭局の澤村智子課長は、日本のハーグ条約の実施状況に自信を見せていたという。とはいえ、ハーグ条約では日本国内で起こっている誘拐は解決できない。 「確かに連れ去りのほとんどは、母親が父親との関係で深刻な問題に直面しているときに起こる。だからといって、必ずしも子どもから親を奪ってよいことにはならない。国内でも、連れ去りは原則として違法であることが明確にされるべきだ」と、ある弁護士は言う。 こうした連れ去りが頻繁に起こる背景には、日本では離婚後の共同親権は認められていないことがあるだろう。そのため、子どもの養育に2人とも深くかかわってきたカップルでさえ、片方だけが100%親権を得るという以外の選択肢はない。

「日本では毎年、約20万件の離婚が起こっており、両親が離婚する子どもの数は離婚の数とほぼ同数です。その3分の2は、もう連れ去られた側の親と会うことはありません。これは、子どもにとって、このうえなくつらいことです」と、小田切教授は言う。 多くの日本人の父親は今でもこうした状況をしかたがないと思っている。しかし、多くの女性が働くようになり、3分の1のカップルが離婚している中で、単独親権制度は正当化されがたくなっている。家庭内暴力の被害者である親や子どもを守るためには単独親権が必要な場合もあるだろうが、子どもの両親が共同親権に同意しても認められないというのは、どう考えてもおかしくないだろうか。

片親が家庭内暴力を主張するケースもある。アーティストのミナコさんも元パートナーのそうした主張に苦しんできた1人だ。「前夫は、私が子どもたちに薬を与えすぎる、と言って私を子どもたちから引き離しました。彼はそう主張して医者からの証明を取ってきたのです。日本は家庭内暴力の虚偽の主張について適切に対応ができていません」と、彼女は話す。 民法第766条では、離婚後の監護を「子の利益」に基づいて決めることが要請されているが、「子どもの立場から見れば、共同親権が最良のシステムだ」と、専修大学の早川眞一郎教授は話す。ウェストミンスター大学のマリリン・フリーマン教授が、子どもの時に片親を奪われた成人34人を調べたところ、多くが「消えない不安感」や「生きているというよりも生き残っている」という気持ち、「繰り返される自殺未遂」といったトラウマを抱えていることがわかった。こうした研究は日本ではなされていない。

マクロン大統領も連れ去りを嫌悪している

だが、変化は海外からの圧力によってもたらされるかもしれない。国籍や背景が異なる人々の離婚の増加によって単独親権システムが世界中の激しい非難にさらされている。日本と海外の父親が提携し、7月末には、国際連合人権理事会にこのシステムが子どもの権利条約に違反していると訴える予定だ。
6月末のG20でも、イタリアのジュゼッペ・コンテ首相が安倍晋三首相に子の連れ去りを巡る状況について不満を述べた。同首相は6月半ば、6歳の息子と4歳の娘を日本人妻によって連れ去られたイタリア人のトッマーソ・ペリーナ氏と電話で16分間話した。彼は2人の子どもたちに面会できない状態だ。「首相の私すら問題を解決できない」と、コンテ首相も頭を抱えている。 マクロン大統領も連れ去り問題には嫌悪感を持っている。6月26日に3人のフランス人の父親と対面した後、大統領は同日の夕食で安倍晋三・昭恵夫妻にこの問題を持ち掛けた。「到底受け入れられない、嘆かわしい状況がある。この状況に立たされているフランス人がいるのを放っておけない。彼らの子どもの基本的な権利と彼らの親としての権利は守られなければならない」とマクロン大統領は翌日、明らかに心を動かされた様子で語った。

日本の外交上の課題の1つは、北朝鮮による日本人の子どもの誘拐だ。それは確かに“普通の”誘拐よりおぞましい。「だが、フランスの子どもたちが日本で誘拐され、それが罰せられないままで、どうやって日本はわれわれのサポートを得ようというのか」と、あるフランス人外交官は話す。 「私は日本を守るためにここにいる。ドナルド・トランプ大統領が日本とアメリカの関係は一方的だと言っているけれど、それは正しい」と、米軍基地で働くマイク・ブレザー氏は言う。彼は妻との離婚手続き中で、14歳の息子に面会することができない。8歳の娘とは、かなり限られた形でまだ面会できるものの、離婚が成立してしまえば娘との面会も打ち切られるのではないかと不安に思っている。
「アメリカには、昔は奴隷制度があった。でも日本の単独親権システムはある意味でそれよりも悪い。親と子という、最も基本的な人間関係を壊すことを許しているからだ」






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4発直4の軽 [貧楽]

私の日本での現役真っ盛りの時代は、『一億総中流』社会。


とっくに”日本遺産”になりました。

今や、『上級国民』と『下級国民』の二極化が進行中だそうです。


車も然りです。

高級車に乗る人と軽を選ぶ人。

その中間的クラスは売れなくなってきて、新車販売全体の半分以上が軽自動車の現在です。

もっとも軽を求める人でも、乗り出し250万前後の『高級軽』を買う人も多く、税金とランニングコストの安さ&贅沢装備の両立を図っているのでしょう。



私の愛車は、軽は軽でも14年落ちのスバル。

しかし、全く問題ない。

それどころか、贅沢装備こそありませんが必要充分、満足しています。

今ではどこも作っていない、4発の軽でスーパーチャージャー付。

実に軽やかに静粛に、そしてバランス良く回り、キビキビと走ってくれます。

4輪独立懸架は、ワインディングも踏ん張る。

(哀しい事に、現在のスバルの軽はダイハツ製のOEMで、今はスバルは軽を作っていません)




別にスバルでなくても、かまいません。

どこか、4発直4の乗りたくなる軽を、作ってくれませんかね。

(私事ですが、40年前からの譲れない愛車の条件は、タコメーター、アルミ&良いタイヤ・・・・だけ)

クルコンとか、アラウンドビューなんたらとかの装備は(私は)要りません。

クルマは、ドライバーの意のままに、走り・停まり・曲がれば良いのです。

・・・なんて、ひとりの『下級国民』は思います。



【V6の軽】、なんてのも夢があっていいな~


ささやかな楽しみです、軽でも新車はムリな下級国民ですけど。




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