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度胸満点 新日銀総裁:植田氏 [出来事]

先頃、新日銀総裁に植田和男氏が決定したと報道されました。

ウィキで経歴を拝見しますと、ものすごい超エリートの経済学者でした。

私は期待したいです。

戦後初の、経済学者の日銀総裁。

関係ないですが、私と同年齢!


頭脳明晰、天才ですから、まだ、どういう金融政策を採るとかは話しません。

いきなり利上げとかはしないで、冷静に時期を見極めるのではないかと思います。


しかし、誰もが嫌がる今の時期の日銀総裁を引き受けるとは、大した度胸です。

(私の若い頃は『男は度胸、女は愛嬌』と言いました、今は逆かもしれませんが)

わざわざ、ババ抜きのババを引いたのです。

自信があるのでしょう。

映像を見ても、肝が据わっている面⁽つら⁾構えです。

日銀や財務省官僚、ましてや政治屋によくある「仮面の顔」ではないです。

おそらくですが、政府や大企業のご機嫌を伺いながらの金融政策は、無さそうな感じです。

クロ田総裁は最低の老害:日銀総裁(←私見です)ですから、最悪でも、クロ田総裁以下はないでしょう(笑)。

政党政治や富裕層、大企業のためではなく、どうか、国民の暮らしや庶民の経済・家計に目を向けて欲しいですね。

これで欧米諸国並みの、経済・金融政策が施行されるのではと・・・・個人的には嬉しいです。




以下に、日本経済新聞のコラムを引用しました。

日経は経済界・政府・富裕層・大企業寄りのイヌ(失礼!)なので、それを考慮しながら、気をつけて?読む必要があります。

例を挙げれば、記事内容に、雨宮氏(擁護)の記述が多すぎる、新総裁:植田氏の事柄より多いのは変です。

雨宮氏は、クロ田総裁を長年支えた、腹心の部下『右腕』だった。

追い腹切って当然・・・と、それこそ1行で『切って捨てる』のが自然でしょう。

政府や財務省、そして日経は何を考えているか?

(まぁミエミエのような気がしますが・・・書きません)

植田総裁、道は厳しいでしょうが、民主主義国家:日本の中央銀行のあるべき姿を確立してください。

お願いします!





日銀総裁なぜ辞退? 雨宮正佳副総裁の2つの信念


政府は日銀の黒田東彦総裁の後任に、経済学者である植田和男元審議委員を指名する人事を固めた。サプライズの人選となった理由は、本命とされた雨宮正佳副総裁が最後まで政府の打診を固辞したことにある。そこには植田氏起用にもつながる雨宮氏の2つの信念があった。

雨宮氏「私は適任ではない」


「(報じられている通りなら)次期体制は理想的な布陣になったんじゃないか?」。植田氏らを起用する日銀人事が報じられた10日夜。ある関係者が雨宮氏に連絡をとると、そんな朗らかな声が返ってきたという。

雨宮氏は20年を超える長期緩和の制度設計を一手に担った「日銀のプリンス」。次期総裁の筆頭候補で、政府も同氏に総裁ポストを打診。長く調整作業が続けられてきた。

ところが雨宮氏は最後の最後まで固辞。人事の国会提示が迫る2月10日になって、植田氏の起用が固まった。なぜ雨宮氏は総裁ポストを固辞し続けたのか。そして、なぜ経済学者である植田氏に白羽の矢がたったのか。

「日銀の次期体制は長い金融緩和の点検と修正が求められる。私は緩和政策を実行してきた当事者中の当事者であり、客観的に公正な見直し作業ができるとは思えない」。雨宮氏が総裁ポストを固辞した一つの理由はこれだ。

確かに雨宮氏は、2001年の量的緩和から10年の包括緩和、さらには13年の異次元緩和、16年のマイナス金利政策まで、あらゆる実験的な金融政策の設計を主導してきた。長期緩和の点検作業は、雨宮氏が繰り出した一連の施策の自己批判でもある。

ただ、政府関係者らは「長期緩和のすべてを知るからこそ、その点検と修正もできるのでは」と雨宮氏を説得し続けた。雨宮氏は政府や市場関係者とのパイプも太く、異次元緩和からの出口を描く際の「対話力」で右に出る人物はいない。それでも雨宮氏は総裁ポストを辞退した。


実は雨宮氏にはもう一つの強い信念があった。「中央銀行のトップ人事の世界標準は、もはや中銀マンの内部昇格や官界からの登用などではない」

米連邦準備理事会(FRB)議長には後にノーベル経済学賞を受賞するバーナンキ氏や労働経済学者であるイエレン氏が起用され、欧州中央銀行(ECB)もドラギ前総裁は米マサチューセッツ工科大(MIT)出身のエコノミスト。中央銀行の首脳会議は単なる金融政策を語る場ではなく、複雑なマクロ経済分析を披露する場ですらある。

アジアをみても、中国人民銀行の易綱総裁は米イリノイ大で博士号を取得した経済学者であり、李昌鏞(イ・チャンヨン)韓国銀行総裁も米ハーバード大で経済学を学んでアジア開発銀行(ADB)チーフエコノミストなどを歴任している。世界の主要中銀では日銀と財務省(大蔵省)のたすき掛けのようなトップ人事はありえない。


主流派経済学者との長い闘い


政府は最終的に次期総裁に植田氏を起用する人事を固めたが、背景には雨宮氏の「世界的な経済学者を登用すべきだ」という一貫した主張があった。植田氏のMIT留学時代の指導教官は、世界の中銀の理論的支柱であるスタンレー・フィッシャー氏(FRB元副議長)。バーナンキ氏もドラギ氏も、フィッシャー氏の教え子である。

雨宮氏が総裁ポストを固辞した2つの主張は「きれい事すぎるのでは」と、うがった見方も残るだろう。同氏には難作業である異次元緩和の出口から「逃げ出した」との批判すら出るかもしれない。

それでも中央銀行と経済学界の融合を求める雨宮氏の信念は強かった。1990年代後半からの日銀のデフレとの闘いは、米国を中心とする主流派経済学者との闘いでもあったからだ。

2000年前後の日銀は、バーナンキ氏やポール・クルーグマン氏ら主流派経済学者から「日本がデフレから脱却できないのは、日銀がインフレ目標も設定せず、大量の資金供給もしないからだ」などと手厳しい批判を浴びた。その主張は日本の政界の日銀批判に発展して、雨宮氏ら日銀執行部は深く苦悩することになる。

逆にクルーグマン氏はECBのドラギ総裁(当時)を「現代における最も偉大な中央銀行家」などと持ち上げた。中銀にとって最も大事なことは世間の信認だ。その評価を左右する著名経済学者の理解がなければ、金融政策はスムーズに進んでいかない。黒田体制での異次元緩和は、米国の主流派経済学者の主張をそっくり採り入れて始まった。

もっとも「大量の資金供給でインフレ期待に働きかける」という異次元緩和の理論はうまく機能せず、バーナンキ氏もクルーグマン氏も今ではかつての日銀批判を修正している。現在のパウエルFRB議長とラガルドECB総裁は、ともに法律専門家でありエコノミストではない。08年の金融危機を予見できなかった主流派経済学者は力を落としており、米欧中銀にはエコノミスト偏重の組織運営に見直し機運がある。

雨宮氏は現在67歳。5年後の日銀総裁人事では、また雨宮氏の名前が有力候補として挙がるだろう。そのときに中央銀行のトップ人事の世界標準がまた変わっていれば、次こそ「雨宮日銀」の誕生が現実味を帯びる。




















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